仕事に熱意、実現したいこと
仕事をしていく中でコミュニケーションは避けられない出来事です。淡々とした出来事を伝えるだけならさほど苦労をしない場合でも、仕事に対するアイデアやプランを伝えるときには苦労することがあるでしょう。
会社にそれなりに勤めていると、色々できることが増えてきたこともあり、仕事に熱意を持って取り組んでいることでしょう。そうすると、おのずとプランなど実現したいことが生まれてくるかと思われます。
実現したいプラン、伝わりやすい内容なら特段問題はないのですが、現場の細かい内容の改善だったりすると、なかなか現場から遠い決定権を持つ人には伝わりづらかったりOKをもらうことが難しかったりします。
また、ある程度の落とし所がもうすでに決まっていて、それ以上考えようとしていないことがありえます。自分たちが考えていることは、すでに考えることが仕事である上位者がすでに考えてしまっているということもありえます。
リアクションがいまいち
背景にある理由は何であれ、自分が伝えたいことが思うように伝わらないときは、フラストレーションが生まれてくると思います。とくに、普段はどちらかというと説明ができていることが多い人だとよりフラストレーションが生まれるかもしれません。
伝わりにくいことほど、自分が本当に伝えたいことだったり、実現したいことだったりするからです。そこには、想いが入っていて、どうしても前のめりになってしまい、淡々と説明できないことも原因の一つになっているかもしれません。
どうでもいいことなら、伝わらないことがあったとしても、まいっか。で終わらせることも可能ですが、熱意が溢れていることだとそうはいきません。何としても伝えたくなってくることでしょう。
熱意が過剰になっている
自分の中ではわかり合えないかもしれないとは思うものの、ついつい説得内容や論破内容を考えてしまったりしていないでしょうか。こういったことは、色々なところで無駄と言われている行為です。しかし、どうしても湧き上がってくるのが伝えたい思いです。
結論、伝えたい思いは無駄です。自分の思い入れがある内容に対して周囲のリアクションが悪いときは、そのコミュニティにおいて、熱意が過剰な状態となっています。
しかしながら、無駄な行為ではあるのですが、湧き上がってくる思いは止められませんし、限りなく少ないまでも希望が残されているケースもあることはあるでしょう。その僅かな望みに掛ける意味も踏まえ、自身の行動の落としどころを考えたいと思います。
熱意が過剰になっている状態に気づけたら
熱意が過剰になっているな、と気づけたときに意識することは、「伝えようとし続けるが伝える相手や方法や時期は変えていくこと」です。
モヤモヤがある状態なら、一度メモ帳などにアウトプットして感情を整理して、自分で見返して伝える必要があるか、ないか、をできるだけ冷静に判断したうえで、伝えるようにします。自分を抑圧するわけでなく、「もういいかな」と思えるまで、どこかへ向かって熱意の排出を続けるようにします。
決して熱意エネルギーの出力を下げようと抑圧的な思考をするのではなく、舵取りを心がけるという方向性です。熱意の出し方を変化させます。「伝える相手を変えながら、別のタスクを用意してエネルギーを使う。」という動き方になります。
まず、Aさんにいくら伝えても変化がないときは、言葉で直接的に伝えることをやめていかないといけません。なお、熱意のまま考え続けると、頭の中で堂々巡りしつつ、自分が伝えようとしている言い方は変われど同じ答えが残ってきます。
伝わらない相手に対して真摯に伝えようとすればするほど、熱意が空回りして怒りが生じ、双方言い方もきつくなりより伝わらない状態になります。たとえ自分がどれだけ正しかったとしても。
Aさんに色々伝えて伝わらないとき、実は自分が理解できていないAさんの事情があるのかもしれません。
相手も自分と同じように、「伝えよう」としています。そして、一方的な会話を繰り広げる不毛な時間となります。こういった場合は、相手方がどちらでも一歩引いてしっかりと受け止める反応がないと状況が変わっていきません。
そのため、伝えたいことがないフラットな状態で一歩引いて話を聞いてもらえる可能性のある第三者に対して、今伝えたいことを伝えるようにしていきます。そうすれば、ひとまず自身のモヤモヤを排出することができます。
あわよくば、その第三者Bさんが本来伝えたいAさんに対してうまく伝えてくれる可能性もありますし、そもそも本来やりたかったことの実現策が実はAさんに伝えることではなくて別ルートの実現策も出てくるかもしれません。
熱意はコントロールしにくい
ここで認識しておかねばならないのが、熱意が強くある状態は落ち着けようとコントロールしようとしてどうにかなるものではないということです。コントロールできる実感を持っているようならそもそも悩んだりすることはないです。
ひとまず、モヤモヤは外に出さないと精神衛生上よくないので、とくに実現性や本質的改善などを深く考えないのであれば、とりあえず誰かに愚痴を吐きましょう。
自分が置かれている立ち位置や、相手との関係性によってどの程度の内容が吐き出せるかは変わってくる点ありますが、話す相手が何の影響を持たない人でも、友人や家族などに愚痴ることで、熱意の空回りを避けることが少なからずできます。
これが、一般的に行われている現実的な処理方法でもありますが、そもそも愚痴を話す相手すらいない可能性もありますし、的外れな意見が返ってきたりして、余計モヤモヤしてしまうかもしれません。
別に人間相手である必要はありません。メモ帳に罵詈雑言を書き出したりすることでも、的外れな意見が返ってくるよりはモヤモヤの消化につながりますので、Aさん以外の何か誰かに吐き出していきましょう。
やりたいことは何?という問いにしてみると、実は伝えようとしていることは、伝え方や言葉選びが洗練されてくる面はありますが、結局のところ同じことを繰り返し頭の中で叫んでいることに気づきます。
伝える内容や伝え方の本質が変わらない場合、同じ相手に対しても伝わることはないでしょう。
ミッションであることに変わりはない
しかし、自分が実現しないといけないミッションであることに変わりはありません。自分を納得させる答えは自分がすでに持っています。ただ、あとはこの答えをどう処理するかの問題です。
そして、あきらめてしまうと叶う可能性も捨ててしまうので、諦めることはしないのですが、それでも今回の状況では50%まで伝わればいいところか、と現実的な落としどころは想像しておいたほうが良いかもしれません。
基本的に自分が理想とする着地点を100%としたときに、メンバーの状況や自分の伝達能力を加味して妥当と考えられる着地点は心得ておくことが、最も実現に近づく部分があります。
100%実現しないと、そもそも提案内容が変わってしまう。などもあるゆえになかなか譲れないものもあるかもしれませんが、完全に0%ではないのと、ひとまずでも前に進むことで100%実現するための場所に近づくチャンスが出てくるかもしれません。
一人でできる内容なら問題なく実現できることも、多くの人間がかかわることで簡単なことでもなかなか実現できなくなるものが社会ですので、今伝えるには、役職や貢献度、全体のパワーバランス、環境状況、など何かどうしようもない部分があったりするかもしれません。
そして、生まれている熱意はスポーツやトレーニング、副業、趣味、なんでも自分の熱意エネルギーを使用するものに投下していくようにもします。せっかく生まれている熱は、活用しないともったいないですし、不調の原因にもなってしまいます。
何より、仕事時間など毎日がイライラモヤモヤの負の感情で捉われて楽しくありません。
伝わらないときは伝わらない
さて、なぜそういった立ち回り方になるのでしょうか。というのも、私自身が、会社でいろいろ提案したいことが伝わらないこともしばしばあったからです。そういったときは、伝わるように言い方を変えて、テキストを何度も練り直したものです。
しっかり考えている状況において、スムーズに話が伝わらなかったりしたとき、風呂へ入りながらなどの際に色々議論を頭で考えるとも思いますが、想定している相手に対して使う機会はほぼなかったです。
何より、話す機会が設けられないということと、この思考は論破、ディベート思考だからです。分析を重ねて正しさの精度が高まって、相手を論破したとて、実現しやすくなるかというと、そうでない場合のほうが多いです。
特に強い要望の場合はなおさらです。
ただ、第三者に説明するときに、その思考内容は有効なので、無駄とは限りません。ただし、第三者に説明する機会がなくなった場合は、完全に無駄なので忘れるようにするしかないのかと思います。
伝わりたいことが伝わりにくいケースというのは、内容よりも言い方だったりタイミングだったりするので、すでに伝わりにくい関係性になっているとき、そもそも相手側は「聞こう」としていないです。「聞こう」としているなら、たとえ伝え方がたどたどしくても伝わるものです。
巷では伝えようとすることを諦めるのが、省エネの観点から推奨されたりすることもありますし、スマートに見える面もあります。何もしないうちに、環境が変わってくる可能性だってあります。最もコスパがよいと思われている立ち回りです。
たしかに、冷静に考えてみると、さほど大したことはなく、自分が丹精込めて考えたことも、俯瞰して見れば些末なビジネスの動きの中のごく一部に過ぎないわけです。だとすれば熱意は不器用極まりない感情かもしれません。
スマートに立ち回れるように、熱意なんていうものは捨ててしまうのがよいのかもしれません。真正面からぶつからず受け流すように、ある程度の落としどころなどをイメージしながら。
しかしながら、受け流すだとか、そういったことができる人は、おそらくすでに行っていると思いますし、衝動を抑えられないような感覚はないのではないかと想像します。
いま、自然に抑えられないのだから、頑張って抑えようとしてもストレスを貯めたりこじらせたりするだけだと思います。なので、できるとしたら、愚かな自分であることを受け入れつつ、できるだけ早くやり切って出し切って失敗のタイミングを早くする。
これしかないかと思います。熱意をコントロールすることで、伝えたい提案などはあわよくば上手くいくかもしれませんし。何より、今は伝える能力が限りなく低い状態である、ということは自覚しておいたほうがよいでしょう。
伝える能力は固定される能力ではなく、自身のコンディションなどによって変動するものなのですから。
脳は多くの情報を抱えすぎている
自分の伝える能力がなぜ低い状態になっているのか。これは熱意が関係しています。熱意があるということは改善案などのアイデアが生まれやすく、脳内には多くの情報を抱えている状態になりやすいです。
そして、なぜ熱くなるのか。自分のほうがいろいろ調べたり考えたりしてわかっているのに、よくわからない状態の人が分かったかのように話してくるからです。真意を汲まずにわかったように言われることはだれしも不服な気持ちになるはずです。
私自身、どうでもよかったり、そこまで注力していないことであれば、全然衝動をコントロールできます。コントロールに苦労しないときは、熱意があることが良いか悪いかは置いといて、そもそもそんなに熱意がない状態かと思います。
しかし、叶えたい欲求が大きい事柄のとき、そうは行きません。熱意が湧き上がってくるようなことは、考えないようにしてもふとしたときに考えてしまったりするものです。
私自身、どうでもよかったり、そこまで注力していないことであれば、全然衝動をコントロールできます。コントロールに苦労しないときは、熱意があることが良いか悪いかは置いといて、そもそもそんなに熱意がない状態かと思います。
しかし、叶えたい欲求が大きい事柄のとき、そうは行きません。熱意が湧き上がってくるようなことは、考えないようにしてもふとしたときに考えてしまったりするものです。
この熱意というものは曲者なのです。一種の排泄物のようなものです。トイレに行きたくなったら我慢できないように、熱意も沸き起こってしまうと排泄しないと体に不調をきたしてしまいます。
誰一人わかってくれる人のいないコミュニティにいる場合は、これは完全に諦める必要があるでしょうし、何度言っても伝わることはなく、疎まれ、いずれ熱意も自動的に失われると思います。
熱意が伝わらない状況にあるから、さらに熱意が高騰してしまう悪循環に入っているとも言えるので、この状態は、無理矢理に抑圧しようとしてどうにかなる類ではなく、熱意は出し切る、の方向性で対処していかねばなりません。
状況によっては静観
何事もそうですが、熱いと伝わることもあれば、伝わらないことも状況によって変わります。コミュニケーションにおいては内容よりも、適切な温度感というものが重要だということが往々にしてあったりします。
自分が伝えないほうが上手くいくフェーズの可能性もありますし、冷静に要望を伝える、という観点では自分ではないほうが客観的視点も入って望ましいといえます。
たとえ、普段客観視する人間でも熱くなっているとどうしても視野が狭くなり、伝わりにくくなってしまいますので。
空回っているような感覚があるときは、いったん諦める必要があるでしょう。どう噛み砕いて説明しようが、何をしようが、今の自分が伝えられていない相手は、伝わらない関係性の相手になっているか、そもそも理解力が乏しい人だからです。
となると、言おうが言うまいが、結果は変わらないことになります。となると、第三者に一通りある程度伝えた後は、相手に説明するために思考する時間はもったいない時間となります。
あとは、他人次第。自分のコントロールできる範囲を離れます。なかなか、消化しきれない気持ちもあるとは思いますが、熱意を別の方向に流して、100%は難しいまでも不毛な状況から脱してすっきりした状態に持っていきたいですね。
それではまた。