合意形成について考える。最終的に意見がまとまるのは、考えを説得したわけではなく、従っただけの状態にすぎない。

合意形成が必要だ

「合意形成ができた」と聞くと、一見すると前向きな話に思えます。ビジネスの場でも「合意をとったのか?」と確認されることはよくあります。しかし、その合意とは、本当に全員が納得し、意見が一致した状態なのでしょうか。

現実には、上の立場の人、発言力が強い人の意見に異を唱えることができず、「まあ従っておくか」と飲み込まれるような形で決まっていくことが多いものです。生活費を稼ぐにあたって余計なタスクは増やしたくないものでしょう。

しかし、それは果たして「合意」と言えるのでしょうか。

本記事では、よくある組織や会議の中で見られる「合意」の構造を分解しながら、真の納得とは何か、そして現実的な行動案について考えてみたいと思います。

合意は力がある側の自己満足の可能性もある

「それでいきましょう。」決定権を持つ人のこういった一言が出れば、ひとまず議論は終わったように見えます。

しかしこの「それ」が、誰から生まれてきているかを捉えておく必要があります。

誰かが反対する雰囲気を出せない場だったり、既に決まりかけている流れに抗えず、「あえて水を差すのも…」という忖度だったりする場合も多いですし、不機嫌になることがわかってて言える人は少ないです。

特に、正しい意見を言っている人が「扱いにくい人」と見なされ、遠ざけられている様子を目の当たりにすると、「自分も言うのはやめておこう」と感じてしまうのは、無理もないことです。

力のある側にとっては、「自分の意見が通った」という達成感が残るかもしれませんが、それは本当に合意だったのでしょうか。見えないところに、従わされた側の気持ちが、静かに沈んでいるだけかもしれません。

私自身、納得をもって受け入れられるときもあれば、権限に従っているだけの時もあります。他の人を眺めてみても、「もちろん従いますが、、」のようなことを口にするようなことが見受けられ、「あ、納得はしてないな。」と思うものです。

情報が少なく、考えていない段階の意見は変わることもある

ちなみに、初期段階の意見、つまり情報が揃っていない中での「私はこう思います」という発言は、あとで事実や背景を知れば大きく変わることがあります。

この場合は、相手の意見に耳を傾けて納得した、という形になりやすく、建設的な説得が可能な領域です。

先が見えていない部下をいったんなだめつつ、先や全体が見えている上司の意見を通すことで後々部下の成長がついてきた段階で理解してもらうような状態もこの分類になるでしょう。

問題は、ここではありません。本当に難しいのは、意見の変わらない領域です。

深く真剣に考えた考え、または強い反発があるときの考えは変わらない

基本的に他人を説得する際に相手に考えを変えてもらうことは難しいです。誰かを説得したというエピソードが美談的に目にすることがあるかとは思いますが、基本的には説得はできないものです。

実際のところ、説得とは「お願いを聞いてもらう」に近い行為です。

真剣に仕事に取り組んでいる人たちにおいて、長く考え抜かれた意見はそう簡単には変わりません。それは「意地」ではなく、その人にとって見えている範囲での「確信」だからです。

また、上下関係や評価制度が複雑に絡み合って強い反発を伴った立場は、そう簡単には変わりません。納得いく人事やマネジメントをうまく行えていないと、温度感の差が大きくなるからです。

これらのとき、どちらかの意見が通るには、もう片方が「納得」を捨てるしかありません。つまり、「今回は譲る」「一旦任せる」という意思決定が必要です。それを可能にするのは、信頼関係か権限です。

合意とは何か

合意というものは、意見を一致させることではありません。「意見が違うとわかっているけれど、今回はあなたの考えで進めましょう」と任せる。この中に信頼があります。

これは、言葉にすればシンプルですが、実行は難しいものです。

「今回は私の意見で行ってくれませんか。」

この一言を真剣な対話の中で交わせる関係性が、どれほどあるでしょうか。それができるなら、きっと合意の本質に近づいているはずです。

それがうまくできない間柄の場合は、何かしらの権限やヒエラルキー、力関係での優位性が必要

信頼が築けていない場合、最終的には「決定権のある人」が決めるしかありません。肩書、職位、暗黙の上下関係。

この力関係があれば、一応の決定は可能です。

基本的には組織は上位者が優位性を持ちます。場合によっては古参の一般社員や若者のほうが優位性を持つ場面もあります。優位性を持つものが決めます。

会議でメンバーが話し合って意見が出てきたものが完全に一致しない場合、上長にあたる人がもっともらしい意見をもとに、結論をまとめます。その際に自分の意見をそれとなく混ぜて決定をするでしょう。

ですが、それは「合意」ではありません。むしろ「決裁」や「通達」に近いものです。

相手が反抗できない状態なら抑圧は基本路線。

多くの組織では、実際にはこの構造が機能しています。異を唱えられない状況で、とりあえずの決定を出し、表向きには合意形成されたことにします。反発を押し殺したまま、議題は進行します。

多くの場面で、少数派の意見は黙殺されることになります。それがどれだけ本質的なものだったとしても。もちろん本当に、「この人は何を言っているんだ。」というような場合もあるとは思いますが、ここでは触れません。

私自身、「すごくまっとうなことを言っているのになぁ。」と思うことに対して、全体の賛同が得られていない状況を多く目にしてきました。実際に具体的に関わった人でないと想像できていないことも大いにあると思います。

そういった場面では、むしろ上位者が少数派でも正しいことをくみ取らないといけないところではありますが、大多数の意見に迎合するような結論となってしまうケースが多いでしょう。

それは、力関係において、部下8割に不満を持たれると権限がある上司とはいえおいそれと意見を通すことはできません。決定のナタをふるったとき、満場一致でない限り必ず誰かが不満を抱えます。

場は穏やかに見えますが、その裏には摩擦が蓄積していきます。それならば、不満の総量は少ないほうがいい。そういった理由から、基本的には少数派の意見を黙殺する形になります。

基本的にはそれで問題ありません。基本的には数が力ですし、命令系統とはそういうものです。反発の空気が全体にあれば反発することも可能でしょうが、少数であれば抑え込むことも容易です。8割でもって抑圧できるのです。

抑圧の副作用としての静かな不満

従った人たちは、表面上は笑顔でも、心の奥では「おかしい」と思っています。しかし、その不満は言語化されず、共有されず、どこにも昇華されません。特に少数派となった人はうかつに他の人に相談することもできません。

どうせ否定されたり、不機嫌になって「言うんじゃなかった。」と感じさせられたり、こういったことがじわじわと組織や人間関係をむしばんでいきます。信頼はすり減り、空気を読む文化が深まり、「言わない」ことが評価されるようになっていきます。

しかしながら、それで回っていきます。結局のところタイミング次第で、だれがババを引くかというゲームです。そして、ババを持った人が退場すれば別の人がババを持つことになる。それの繰り返しです。

不満の種は育っていく

沈黙の中で、不満は静かに膨らんでいきます。特に具体的に反抗するわけでもない、けれど確実に「もういいや」という空気が広がっていきます。仮に強く発言する人は、おかしく見えます。

しかし、おかしく見えるのは言い方に余裕がなかったりするだけで、言っている内容は至極当然な内容だったりします。

結局のところ、後から取り組まざるを得ない本質的な課題であることも少なくありません。 こうした構造的な無力感や諦めは、「静かな退職」と呼ばれる現象にもつながっていく可能性があります。

異動、退職、退会、不満を抱えた人はいずれそのコミュニティを去っていきます。そのときになってようやく、「なぜ意見を言ってくれなかったのか」と問うのは遅すぎます。

本当の合意形成を放棄し続けた結果が、そこにあるだけです。

それでも「合意形成」を信じるために

現実には、正しさが通らないことも多いです。納得いく合意が続くわけでもありません。それでも社会は動いています。どちらの力関係にある場合も、今後のリスクとして3点抑えておく必要があるでしょう。

道はおそらく、次の3つに分かれます。

● 我慢する路線:影響力のある側に立つまで、耐える

いまは力がないなら、いずれ任される側になることを目指して、粘ります。

その間、折れずに済むような仲間や居場所を少しずつつくっておくことが必要になります。

● 移動する路線:価値観の合う場を探す

違和感のある構造の中で消耗するよりも、自分の価値観や納得した貢献ができる場所へ移ります。部署移動や転職、起業、退会……ただし、どこへ行っても「合意の難しさ」はあることを覚悟する必要があります。

● 何も考えないようにする路線:機械的にやる

仕事は仕事と割り切って、感情を排し、心を削らずに生き延びる。それもまた一つの知恵です。やる気をなくすか、あるいは熱意の矛先をコミュニティの外に置く。どちらかの姿勢が必要になるでしょう。

どの道を選んでも、苦しみはあるものです。ですが、選んだ道を「自分で決める」ことが、自分自身の芯になると思います。自分に合った路線、今取れる路線、主体的に行動していくことが大事です。

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