気の合う仲間の前でほんの少し誇らしくなるために

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はじめに

猫背でも誇らしく

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どうも。デスクワークの毎日が、ついつい猫背を促進する毎日です。実際の姿勢はともかく、内面的には日々誇らしく胸を張って過ごしたいものですね。

日々楽しく過ごす1つの要因として、「誇らしい」ことは大事です。

ここで言う「誇らしい」状態というのは、一時フフンとするマウンティング的なものではなく、自分の人生における選択に自信がある状態のことを言っています。

同じ年月を重ねるなら、誇らしい状態で毎日を過ごすほうが、心に余裕を持つことができるので、ストレスを受け流すこともしやすいでしょう。圧倒的に楽しいことでしょう。

しかし、現実には誇らしい気持ちとは程遠く、1日のタスクに追われ、心に余裕がなく、ストレスを真正面から受け止めてくじけてしまう。

そうして、疲れ切った体で布団に潜り込み、休日は特にやりたいことをやるわけではなく、プライベートでやらなければならないこと処理しているうちに、気付けばやってくる繰り返しの平日。

憂鬱ですね。

いま誇らしくないなら

この記事は、20代の社会人に慣れてきた人に向けて、自分に置き換えたなら10年前の自分に向けて、誇らしい毎日を過ごすために必要と思われるアクションについて書いていきます。

すぐさまできることもあります。どうしても時間がかかることもあります。不器用だったり、目標が〇〇になる!というシンプルなものでないなど、目標が言語化しにくいものはゴールがよくわかりません。

そのような状態を手探りで進むため、足元を固めるだけでも10年くらい経ってしまったり、うだつの上がらない日々を過ごすかもしれません。また、一生うだつが上がらないかもしれません。怖いですね。

それでも、いま胸を張れている気がしない、誇らしくありたい……そのような想いが自分にあるのなら、これからの内容を見て、少なくとも気の合う仲間の前でくらいは誇れる自分になりましょう。

誇らしくないのはなぜ

しかしながら、誇らしい自分になれているか?と自分が問われたなら間違いなくまだまだです。道のりの途中。それでも、10年前の自分よりは確実に誇れる自分になっています。段階としては、自己満足の段階に過ぎませんが、自己満足すらできていなかった状態よりは前進しています。

働き方としては、土日の休みを確保できて、平日も終電の毎日ではなくなりました。イメージしていた形に近い作業内容でパソコンを使う仕事ができています。ようやく目標に向けてコツコツ積み重ねができるルーティンに持ってこれた段階です。

かつての私のように、どうにも誇りを持てない日々を過ごしている人は、不完全燃焼状態での諦めや自分の本心への嘘偽りが必ずあります。現実的に考えて、家族の意向で、一般的に考えて、など理由はそれぞれでしょうが、日々に何かしらの誇りを失わせる原因が隠れています。

誇らしく胸を張るには

仕事に誇りを

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誇れる自分へ近づくため、やりたいことを主導権を持って選択できる毎日に身を置きましょう。環境がすべてです。ちょっとしたことでも自分がやろうと思っていることを実行できる環境にありますか?今の環境はこれまでの1日の積み重ねです。そして、1日は仕事と生活と睡眠です。

1日を単純に分割すると、基本的に8時間ずつの3分割になるでしょう。移動時間なども考慮すると、仕事にやや偏るくらい、ブラックな職場であるほど仕事に偏りますね。

生活のうち、食事と風呂と身だしなみ、子供がいる方は育児、メンテナンス、付き合いなどで実際に裁量がある時間はかなり少ないものです。我々の環境はほとんど仕事で決まってしまうといっても過言ではありません。

ということは、何より仕事を自分が納得行く状態に持っていかないといけないということですね。仲間がどれだけ出世しようが、仲間がどれだけ稼ごうが、自分が納得できる仕事を100%実行して毎日を過ごしているなら、胸を張って仲間の前に立つことができるはずです。

逆に、気心知れた仲間の前ですら胸を張れない状態だとしたなら、思い描くことを実行できていない毎日なのか、どこか自分に嘘をついた毎日なのか、他者の評価に合わせすぎているか、自分が自分に納得できていない状態だということです。

納得できていない状態から脱却するためには、思い描く100%に近づけられるよう日々工夫や努力を続けるしかありません。進んでも苦しいですし、立ち止まっても苦しいです。駆け抜けるしかありません。基本的に工夫や努力する方向でしか脱却の道はないと思います。

今の職場で頑張れば道はあるのか?異動でなんとかなるのか?フリーランスとして活動するほうがいいのか?しばらく無職になって勉強するのか?

自分の年齢、自分の性格、自分の貯金、家族知人親戚の援助、活用できる人脈、失業保険、職業訓練、決断するときの自分の状況、周りの状況を見て、次の一手を考えてください。    

現状に納得しているか?

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誇れる自分に近づくための第一歩、自分が誇らしい状態かどうかを判断しないといけません。まあ、難しく考える必要も特にないのですが、仕事の時間が納得いっていないなら、仕事に誇りを持てていないですし、生活の時間が納得いっていないなら、生活に誇りを持てていないです。

小難しく掘り下げるなら、自分が誇らしい状態とは、承認欲求というものが適切なバランスで保たれた状態です。そのためには、自分が認めること、他者が認めること、この2つを自分が納得できるバランスで満たしていることが必要です。

自分が認めることは、自分が本当にやりたいこと、やって納得感のあることです。これは日常生活の何気ない瞬間だろうと、仕事や学問の内容だろうと。

なお、やっているときは楽しくても、後で後悔するようなことはこれに当てはまりません。愚痴飲み会、ギャンブル、衝動買い、ネットサーフィン、ワンナイトラブ、一時の快楽で後で凹んでしまう行動です。

他者が認めることは、感謝されること、お金につながることです。これは日常生活の人間関係だろうと、社会的に比較しやすい年収やステータス、学力、人気、客観的能力などがそうでしょうか。主にマウンティングに使われるポイントでもあります。

自分を見つめたとき、今の選択に納得感がないとしたら、自分が認めることと他者が認めることのバランスが悪いのです。このバランスは多少の変化はあれど、自分がもともと持っている価値観が反映されるので、素直な気持ちで自分に問いかければ大体わかります。

承認欲求のバランス

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我々は自分が認めることよりも、他者が認めることに重点を置きすぎて振り回され、自分にとって適切な承認欲求バランスを崩してしまって、誇らしい気持ちから遠ざかってしまっているのです。日々アンバランスな気持ちのまま、年月を重ねてしまっているのです。

もちろん、環境を作り上げるものとして仕事の影響が大きいことから、社会生活には他者からの承認は避けて通れませんが、他者承認が必要なのは社会的に必要なだけであって、他者承認が自分の精神にダイレクトに訴えかけてくるわけではありません。

他者承認の結果を見て、自分が自分に対して「どうだ、これだけの人が自分を評価してくれている。すごいだろう。」と、「自己納得」させているだけです。わざわざ自分に対してプレゼンを通しているようなものです。

誇らしく毎日を過ごすためには、自分が抱えている承認欲求を満たしている状態でないと、誇らしく生きているという感覚は得られません。この承認欲求は一時の「いいね」などで得られる他者依存的な承認ではなく、自己実現を実感できていることによる「自己納得」からくる承認です。

しかしながら、世の中には、自分の努力だけではどうしても満たせない欲求があったりもするので、その欲求に関しては達観した観点で消化もしないといけません。

そうでないと、承認欲求が強くなりすぎて、他者にマウンティングしてみたり、構ってちゃんになってみたり、自分だけでは承認しきれない欲求を他者に求めてしまうことになってしまい、結局誰にも承認されず、自分でも承認できない状態に陥ってしまうことでしょう。

諸行無常のようなアレでしょうか。欲求には際限がないため、ある程度は区切りをつけられていないと、いつまでも欲求に振り回されることになってしまいます。

結局のところ、最終的には「自己納得」が必要で、他者承認だけがいくら高くても、自分が納得していない状態であれば誇らしい状態とはいえません。

誇らしさを意識するとき

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自分が誇らしい状態かどうかを意識できるタイミングとしては、同窓会でかつての仲間に会ったときなどではないでしょうか。普段はこういったことは脳が震えるのであまり考えないようにしているかもしれませんが、各々の近況をやり取りしていると、嫌でもそういうことを意識せざるを得ません。

かつての仲間たちと会ったなら、「年収はどうなの?」「最近何やってんの?」「わかるわ〜その時期」といったやり取り、「俺はまだまだ本気出してない」「まだ届かないのか奴の背中に」「そろそろ次のステージに行くか」といった思考が繰り広げられるでしょう。

仲間の昇進や活躍に純粋な称賛もありつつ、まあ多少のマウンティングもこっそり実行されることと思います。あからさまなマウンティングしかない関係なら、離脱する方法を考えるのが賢明だと思います。

しかし、仲間とはそういう間柄ではない。だとしても、勝手に脳内では自己マウンティングしてしまうものです。そして、以前のように楽しめなくなってきている自分に気づきます。

仕事面において、みんなそれぞれの道で経験や苦労を重ねているものの、その内容について自分と仲間の違いを感じてしまうのです。各々、自分の持ち味を生かして今を生きている。それは、自分に嘘をついていない(ように見える)。

事実はどうあれその姿を見て、自分が誇らしくない毎日にモヤモヤしている感覚を持っているなら、一気に恥ずかしいような気持ちが襲ってくるでしょう。適当に生きてます感を出して誤魔化していたとしても、本当は恥ずかしくて仕方ないと感じているのです。今の過ごし方を。

さいごに

誇らしく胸を張るため

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これまでの内容をまとめると、主導権を持って物事を選択できる環境に身を置くことで、誇らしい自分に近づけます。そのために、仕事面と生活面で「自己納得」と「他者承認」のバランスを自分がもともと持っている価値観に合わせたバランスで承認欲求を満たす必要があります。

方法としては、転職かもしれませんし、独立かもしれませんし、今の場所での積み重ねや異動かもしれませんし、勉強期間を取ることかもしれませんし、転居かもしれませんし、同居かもしれませんし、自分が置かれた状況によって最適と思われる一手を考えましょう。

自分のことは自分しかわかりません。理解できないなら、理解できるまで何かやってみる必要があります。何もしないでいたら、いつまでも理解できません。

完全燃焼しないと有害化する

もし、前に進むことが苦しくて苦しくて仕方ない状態になってしまったとき、全力を出し切ってどうしても無理だという状態までたどり着いて、達観した悟りを開いたような状態へたどり着けたなら、そもそもの理想を落とすこともできます。メンタルを破壊してしまっては、元も子もないので。

ただ、理想を落とすなどの諦める方向性のことは、いったんは忘れておいてもよいでしょう。というのも、理想を落とす場合は納得できる状態まで消化しきっていないと、必ず不完全燃焼によって有害なガスが発生して自分の誇りを傷つけますし、他者の誇りを傷つけるようなことになりかねないですから。

自分を含め人間というものは愚かな面を持っています。自分に嘘をつけば、人にも嘘をつき、自分が我慢すれば、人にも我慢させ、自分が頑張らないなら、人にも頑張らせない。そういう愚かな面が顔を出してしまうので、できるなら素晴らしい面が顔を出せるようにしていきたいですね。

足りないものを補いつつ

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承認欲求については、マズローの欲求5段階説というものが参考になったりするかもしれないので、興味ある人は検索してみてください。

自分が行動するのに必要な情報が足らないと思うなら、動けるまでリサーチしてください。幸い今はネットが発達しています。知りたいという気持ちさえあれば、正しいか正しくないかは置いておいて、簡単に情報に触れることができます。

そして、必ず自分で考えるようにして自分で答えを出すようにし続けてください。考えて動いたなら大筋の行動は間違っていません。でも何かしらは間違っているでしょう。思考が足りないのか行動が足りないのか失敗を分析しつつ、できるだけ早く。なるはやで。

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