会社員として働くうえでの同僚の存在
会社員として働くうえで、同僚の存在は自分の成長や働きやすさに大きな影響を与えます。その中で、同僚の働き方によっては、自分の仕事のストレス度合いが増えてくることになります。
例えば、自分が残業する一方で、必ず定時で帰る同僚がいると、そのギャップがストレスになることがありますが、このような状況は対処しないと、休みの間もふとした時にそういったことが気になり、リフレッシュできなくなってしまいます。
突きつけめていくと、単純に腹立たしいだったりするシンプルな理由のときもあれば、第三者が遠因になっていたりするので、ここらへんをしっかり言語化して理解しておくと、少なからずストレス対策になるかと思います。
何より、ストレスを感じている状態で言語化できていないままモヤモヤしていると毎日が楽しくないので、何かしらの対策を考えておいたほうがよいでしょう。
同僚にストレスを感じていることを洗い出す
同僚の仕事のやり方をみてストレスを感じているときに取れる対策としては、何にストレスを感じているかを明確にすることと、ストレスを感じる前に打ち消す練習をするということです。
そして、よくよく紐解いてみると、同僚に対して以下のようなストレスを感じていることに分解できます。
時間を掛けてほしい仕事に対して時間を掛けて対応してくれない。
業務に必要な対応の意図を理解してくれない、または遂行してくれない。
こうして改めて捉えたストレスを解決しようと考えてみたときに、本人の特性や第三者との関係性、全員の能力のかけ合わせ、など様々な要因が背景に絡んでいて自分の努力だけでは簡単に解決できないこともあります。
同僚の仕事にかける時間と意図
さ仕事にかける時間と意図の理解に関しては、仕事としての働きやすさやチームとしてのあり方に影響してくるので、何かしらの改善試みが必要な点になります。
同僚の行動に対しては、単純にモヤモヤするという結果が見えてきますが、その背景には、働きやすさや理想とするチームとの乖離を危惧が自分の中にあったりします。同僚の行動は自身の不安を刺激するトリガーに過ぎません。
そして、同僚の行動が何を刺激しているかというと、概ね「自分を正しく評価してくれていないかもしれない」という不安を刺激しています。はっきりとした自覚は同僚に対してですが、実際は同僚だけではなく、上長や組織に対しても疑念を持っている状態となります。
言い換えると、自身が置かれている環境は心理的安全性が低い状態である、ということが現状の環境ということになります。
さて、それがなぜ同僚の行動と結びついてしまうのでしょうか。
例えば、定時で帰ることが一つの評価基準である場合、評価者からの見え方として「同じ仕事」を対応した場合、残業がない人のほうが評価が高いことは言うまでもないかと思います。
同僚を評価することに対する疑問
しかし、ここで現場としての見え方として、「同じ仕事」のようでも「言語化されていない部分を排除した簡単な仕事」だったり「そもそも本来発生されるべき仕事が依頼されていない」というケースがあるため、単純に定時で帰ることがよいとは言い切れない面もあります。
しかしながら、従業員のこだわり過多などで無駄な残業の可能性ももちろんあるため、上長など評価者の判断に委ねる、という形になるのですが、こうなると「人」に対する信頼度で安心感が変動します。
普段の会話やコミュニケーションから「言葉の端々に現場に対する理解が浅い点を感じる」「管理者はそこまで理解できない」「意見の対立があった際に聞こうとする姿勢がない」ということを現場従業員が感じていると上長の判断には不安を感じてしまうことになります。
そして、正しく判断されないということは、自分の意に沿わない環境や待遇になってしまうことに強い恐れを抱くことになり、そのおそれを呼び起こしてしまうトリガーになるのが同僚の行動、という人間関係構造になります。
ただ、これもどうしても気になってしまうことは仕方ないとは思いますが、対策の方向性としては、なんとか工夫して自分だけを見て理想とする状況に向かっての努力を淡々と続ける。というのが正解となります。
同僚と比較しすぎず前進する方法を考える
人との比較は自己成長のためにある程度は必要なものの、意識しすぎると苦しくなるので避けたほうがよいです。単純にルールを作って、その中で自分は行動を淡々と重ねていくようにします。とはいえ、それが簡単ではないからモヤモヤしているのですね。
残業することが気になるなら残業を計上しないことがシンプルな解決策なので、サービス残業をして勤務時間の結果を同じにする。自分の仕事の質が本当に高いなら、同僚より評価されるはずです。
仕事の質で比較する状態にすれば、時間を投下している分有利です。ここでは、「正しさ」などを考えないほうがよいでしょう。「正しさ」を考えすぎてしまうと、「正しくない状態」に対して怒りが沸いてきてしまうのであえてここでは考えないようにします。
現実的にサービス残業を続けるのは苦しいので、不明瞭な感情が占める時間を軽減するというメリットを取って、働き方の正しさはいったん横におくような戦法をとります。
そして、納得いかないサービス残業を取り入れても評価がされないようなら、これまでのやり方を抜本的に改善するか、手を抜くようなやり方を身に着けていくしかありません。
評価されないなら、ここでサービス残業にプラスの評価に効果はないと体感できるので、「正しい」状態に戻せるように淡々と方針を調整します。
自分以外はコントロールしにくいので淡々と行動
淡々と行動する。当たり前のことで、さほどここに苦労したことがない人からすると特段これといった対策にはなっていないかもしれません。しかし、淡々と行えるという状態は自分の意志を持っていないから、不満が生まれない状態になっているとも言えます。
人の行動を変えることはなかなか難しく、評価に影響しそうな場合、評価者以外の同僚へのアプローチはなかなか難しいでしょう。評価者以外のアプローチが評価の遠因になる部分においてはこの限りではないですが、基本的に自分が望むようなアクションは取ってもらえないと思っておきます。
基本的に、他者は変えることはできない、自分以外のコントロールはできない、という前提にして計画を組みます。もちろん、他者に影響を及ぼすケースもあるとは思いますが、どちらかといえばラッキーなケースになりますし、他者に影響を及ぼす立場にないからこそ悩んでいると思うのです。
自分の能力不足も見つめ直しておく
また、自分自身が単純に仕事ができない、時間のコントロールができていない、本当に余計なことをしている、という辛い事実を受け止めないといけないのかもしれません。
同僚への怒りは、自分でも気にしている図星な点を突いてくるから、なのかもしれません。
まあ、能力不足なら能力不足でもともと持っている処理能力は自分のポテンシャルに合わせて成長していくものですし、どうあがいても自分のポテンシャル以上には伸びません。
この事実は淡々と受け入れるしかなく、明日すぐ変わるとは限らないことを積み重ねていくしかないです。できることは変わらないので、必要な行動に変わりはありません。
ただ、仕事のやり方進め方自体は同僚に話を聞いてみたり、インターネットで仕事のやり方を調べたりして、ある程度の理屈はわかっているはずです。
それでも、できないのは、「できないのではなく、やりたくないから。」につながってくるものです。意識の浅い部分ではやろうとしているのにできないことは、必ず意識の深いところで「やりたくない」が隠れているものです。
言語化されていない重要なポイントなどもあるかもしれませんが、単純に言うと「与えられた時間できることだけをやる。」に尽きるのですが、どの程度の内容で「できた。」と言えるかという論点が隠れていて、納得いっていない状態ですね。
納得いかないのは当然。静かに怒り進む。
色々納得いかない。
そういった状態が自身に渦巻いている状態であるならば、静かな怒りをベースに行動できるといいでしょう。熱い怒りはここぞというときのみ。静かな怒りならば、たとえ自分の単なる気にし過ぎや勘違いでもあまり大きな影響を与えることはないでしょう。
怒りを掘り下げると、
結局は自分に自信がない、交渉のテーブルを設けることができない力不足や経済力不足なことが原因です。
どのようなゴミでもなんでも叩き売って生活することができる、ようななりふり構わなさや盤石な経済的基盤があるとしたら、おそらく今のようなレベルでの不安はないでしょう。
仮に確実に今の職場に絶望したとして、具体的に転職や独立などで今の職場を離れる場合も、本業で具体的に何をやってきたかは問われるはずです。もしくは、副業で収入の上乗せが必要なはずです。
悩んでいる時間はないはずです。少なくとも自滅しないようにメンタルコントロールに注力する、そのためにはあえて休むことなども必要になってくるでしょう。
淡々と着実に物事を積み上げていくことが大事なことには変わりがありません。
わかっていても、頭の隙間に「悩み」はねじ込まれてきます。隙間を作らないように、具体的な行動を詰め込んで闘うしかないでしょう。家事でもなんでも。「悩み」のねじ込みが激しい時期は。
それではまた。