人間関係に悩みはつきもの
人間関係の悩みは、どんな環境においても避けて通れません。たとえば、意見やお願いを真剣に聞いてもらえなかったり、自分が正しいと思っていることが理解されないことがあります。
理想とする状態を実現したいと思うものの、思い通りにいかないことも少なくありません。私自身、どうにも意見が通らないときがあったりしてやるせない気持ちに囚われてしまうこともあります。
お互いの気持ちを尊重して物事を決めていけたらいいですよね。そのために、人間関係上「正しくあろう。」としていることも多いかもしれません。にもかかわらず、正しさが伝わらない、思い通りにいかないということはよく出会う悲しみです。
そういった、思い通りにいかないときには、実は人間関係における「力学」の存在が隠れているものです。人間関係には、一種の「力の関係」が働いており、どちらか一方の力が強いと、その方向に物事が流れやすくなります。
今回は理想的な状況へ向かっていくために、人間関係の力学について考えたいと思います。日々の出来事をこうした力関係に分解して改めて理解することが、円滑な人間関係の構築に役立つかもしれません。
正しいことはルールではない
まず、理解しておきたい、思い出しておきたい大前提としては、「正しいこと」はルールではないということです。私たちはつい「正しいこと」がルールだと思いがちですが、実はそうではありません。
正しさに囚われすぎていると、人間関係で行き詰まることもあります。社会では、シンプルに「力を持つものがルールを作る」という現実があるのです。
特に、公平性の低いコミュニティや組織の中では「正しさ」への配慮が薄れ、力のある立場や人物の意向がその場のルールとして機能することがあります。
さらに自然界に目を向けると、最も力のあるものが支配する「自然の摂理」が強く働いていることがわかります。この摂理に従うように、私たちもまた力の強い側に従わざるを得ないことが多いのです。
権力、資産、人望、暴力、技術、、コミュニティによって必要なものに違いはあれど、こういったものが力となるでしょう。
たとえば、縦社会や軍隊の方式がわかりやすい例です。こうした組織では、階級や立場によって明確な力関係があり、それに従うことが組織の円滑な運営に不可欠とされています。基本的に許可なく下の者の発言は許されていません。
正しいことは目指さないといけない
しかし、だからといって正しさを無視してよいわけではありません。正しいことを目指すのは、単純に私たちにとって気持ちの良いことでもありますし、人間関係を維持するためにも重要です。
力が優位にあるからといって強く出すぎると、相手に反発されてしまって利益を得られるはずのところをとれないことになるかもしれないので、自分の意見や行動が受け入れられるためには、正しさをある程度追求することが求められます。
ときには「保険的行動」として、正しさを保持しておくことで、いつでも使える「力」として機能させるのです。力関係は常に変動し、たとえばコミュニティ内の関係性や社会情勢、資金や人気などの変化によって、崩れてしまうこともあります。
おおむね、一度出来上がった力関係は維持されるものの、さらに大きな力である自然の力が猛威を振るうタイミングでは、力関係が変動してしまったりすることもあり得るため、堅実な思考の結果として必要以上に暴利を貪らないことが最適解となります。
その結果、正しさを基準とした人間関係の方が変動していく力関係の中で長期的に安定しやすくなるので、疑似的に「正しいこと」がルールとして機能することになります。
また、本音は「生意気だから気に入らない。」だったりするものの、それらしい理由を用意して「正しさというオブラート」をかぶせて物事を進めることは、円滑な人間関係やコミュニティの秩序を維持するために必要な工夫といえるでしょう。
力関係によって必要な正しさは変わる
人間関係において、力関係がどのようなバランスになっているかによって、必要な正しさは異なります。特に二人の関係を考えたとき、望む状態に近づけるかどうかは、その二人の間の力関係に左右されます。
たとえば、お互いの価値観の範囲が異なると、相手がこちらの意図を理解することは難しいですが、この場合、相手が動いたり変わる必要があるときには、相手に自分の価値観や考えを納得させるだけの「力」が必要になります。
「力なき正しさは何も変えられない」という考え方も、ここに関わってきます。自分が正しいと思うことが相手に通るかどうかは、相手の価値観の範囲に含まれているか、または自分が相手に対して力関係で優位に立っているかによります。
相手を変えたいと思うのであれば、まずは力関係において上の立場に立つことが求められるでしょう。交渉と同じで、先に席を立つことができるものがより利益を得ることができるのです。
力関係が拮抗していればしているほど、重要なのは「正しさ」となり、より正しく公平であろうとする必要が生じます。力関係に差があればあるほど、重要なのは「力」となり、威圧することが最適解となります。
自分の意見が通らないとき
もし自分の意見がなかなか通らない場合、自分の要望や主張の正しさについて改めて精査することが重要です。また、意見を通すための「力」が十分にあるかどうかも考えてみましょう。
意見が通らないときはおそらく、今はシンプルに力不足なのです。今までは意見が通っていたのに通らなくなった、というときもそれだけ自分の影響力、発言力、権力、力が変動相場の中落ち込んでいるのです。
もしかすると、今は意見を通すよりも力を蓄える時期なのかもしれません。力を集め、必要なときに正しさを支えるだけの状況が整えば、自分の意見や理想を実現する可能性が高まります。
力なきときにできることは自分を変えることだけ。相手を変えることはできません。ただ、相手が「正しさ」を保とうとする動きはあることはあるので、相手の価値観の範疇で、自分の要望に近づけるようお願いをする形になります。
お願いの仕方は、もちろんできるだけ丁寧に腰を低くする必要があります。力関係が上のときは、ここぞというときには強く出ることがあってもいいですが、基本的にお願いをするときは下手にでることがルールです。
しかし、正しさを基準にしすぎると、力関係が下でも「お願い」ではなく、「指摘」のような形を取っている可能性があります。そういった状況になっているとしたら、おそらく相手に本質的な部分で動いてもらうことは難しいでしょう。
シンプルに「うるせぇな」という気分になるからです。小言を言われているという状態です。
意見が通らないとき、今一度関係性としてのベースにある力関係(発注先・受注先)や今の状況、自分の主張の仕方は見直し、可能なら「指摘」ではなく「お願い」という形を意識していきましょう。
それでは、また。