定時で帰りつつ、仕事の質を高めるには、業務外の時間に仕事について触れる必要がある気がする。

働き方改革の進行と「定時退社」の表面

働き方改革が進むなかで、「定時で帰る」という行動がようやく広まりつつあります。企業によっては、タイムカードの打刻が一定時刻で自動で締められたり、時間外の労働に対して厳格な管理が入ったりと、制度的な後押しも増えてきました。

さて、実態はどうでしょうか。実際には、定時で退社したあとも、頭の中や手元では仕事が続いているというケースは少なくない気がしています。

たとえば、退勤後に資料を読み直したり、アイデアを考え直したり、あるいは明日の流れをシミュレーションしてみたりする。 それを「仕事か?」と問われれば、確かに指示された作業ではないかもしれません。

しかし、その下準備や整理が翌日の成果や精度に直結することを考えると、すべて「仕事の時間」とも言えます。

見えない仕事、扱われない労働

勤務管理上は、タイムカードを切ったあとの時間は「プライベート」とされています。しかし実際には、退勤後も業務用のチャットを開き、何かしらの確認や検討をしている方も多いのではないでしょうか。

近年、リモートワークの普及により、営業職だけでなくオフィスワーカーにも業務用パソコンが貸与されるケースが増えています。これにより、勤務時間外でも業務にアクセスしやすくなり、結果として「仕事をしている」と言えばしているが、「仕事として取り扱われない」グレーゾーンの労働が生まれています。

このような実態は、厚生労働省の調査でも明らかになっています。テレワークを実施している労働者がいる事業場において、69.4%が「通常の労働時間制度」を適用しており、フレックスタイム制や裁量労働制を導入している割合は比較的低いことが報告されています 。また、テレワークに関する調査では、勤務時間とそれ以外の時間との区別がつけづらいという課題が挙げられています 。

これらの「見えない仕事」は、勤怠記録にも残らず、報告義務もないため、評価の対象外となりがちです。しかし、これらの時間は、自分の責任感や精度へのこだわりから発生している、いわば「予習のような時間」であり、一種の保険とも言えるでしょう。

この時間が15分なのか、30分なのか、それとも1時間におよぶのかは人によって異なります。いずれにせよ、それが「今日中にやっておくべきこと」であると自分が判断した場合、もう一度PCを立ち上げることになります。

これは、時間管理労働でもフレックスのような働き方が実際のところは必要なのかもしれません。

成果を支えるのは「お金になりにくい時間」

仕事の時間についてですが、私は、仕事には「お金が出やすい時間」と「お金が出にくい時間」があると考えています。

たとえば、会議に出る。依頼された作業を進める。上司やクライアントへ報告をする。こうした業務は、何をしていたかが明確であるがゆえに、勤怠や評価の中でも可視化されやすいものです。

一方で、たとえば以下のような行為はどうでしょう。

  • 関連資料を深く読み込み、背景や前提を理解する
  • 漠然とした課題を抽象化し、問題の構造を捉え直す
  • 関係者の利害関係や心理を俯瞰し、伝え方の工夫を思案する

これらは「手を動かしていない時間」かもしれません。パッと見たとき、何をしていたのかが分かりにくく、「業務時間」として計上しづらい。場合によっては、ただ考え込んでいたように見えることすらあるかもしれません。

しかし、実はこのような見えにくい時間こそが、仕事の質を底上げする土台になっています。この時間に、自分の中で仮説が生まれる。全体の構造が見える。説明の筋道が立つ。次にとるべき一手がクリアになる。だからこそ、実際の行動に移したときに早く、深く、確実に進むのです。

裏を返せば、こうした準備や思索を怠ると、手は動いていても、「やっているのに成果が出ない」「動いたわりに反応が悪い」といったことが起こりやすくなります。これは調理前の「仕込み」「下ごしらえ」のような行為です。

つまり、「お金になりにくい時間」は、直接的な利益は生みにくいものの、間接的に大きな価値を支えている投資的時間です。

そしてこの投資は、誰かに命じられてやるものではありません。責任感、向上心、あるいは納得感。そういった内発的動機によって自然と始まるものです。

逆に言えば、内発的動機がなければ、こういった時間は生まれません。会社に期待が持てない状態になると、貴重な余暇の時間は別の場所に捧げる時間に置き換わってくるでしょう。

おそらく、経営者側もこの時間が重要なことは重々承知していることで、ある種のこういった泥臭さのようなものは必要だと心得ていることでしょう。

しかし、その時間を勤務として認めてしまっては、無尽蔵に勤務時間が増えてしまうことにもなりますし、人によって差が激しくなる可能性が大きいです。どちらかというと優秀な人は少なく、そうでない人が多くの時間を要することになります。

だからこそ勤務時間として認められない面もあるかと思います。私が勤務についてある管理者と話をする機会があったとき、「考える時間」は勤務に含めてはならない、といったような主旨の話を聞いたことがあります。「考える時間」の定義にはよると思いますけどね。

北欧のような「リズムの再構成」

よく「北欧の働き方」が生産性の高さの象徴として、引き合いに出されます。生産性が高く、残業も少ない。生活と仕事が両立できているという理想のモデル。

ただ、北欧の人たちが“まったく業務外の時間に仕事をしない”かというと、必ずしもそうではなさそうです。実は、彼らも一度仕事を終えたあとで、必要に応じてメールを返信したり、明日の確認をしたりしているのです。

何が違うのかと言えば、それを「惰性でダラダラやっている」のではなく、いったん仕事の勤務時間を切ってから、必要最小限の形で再開するという点にあります。

この切り替えがあるからこそ、短時間でも集中力が高く、ミスにも気づきやすくなる。無駄な労働は確かに減ると思います。 「長時間働く」というより、一日を部分的に効率的なタイミングで使うという感覚に近いのです。

この事実なら、定時で仕事を終えつつ、高いパフォーマンスを出すという両立も頷けるなと思いました。働き方改革が始まってから、私もこの働き方に近くなりました。

一度、仕事を切り上げてすぐさま風呂に入ったり家族と夕食を共にします。その後、時間を決めてPCを確認する。この時に、認識違いがあれば気づいて修正したり、明日の見通しを立てたりします。

19時くらいまで仕事をしていた頃に比べ、家族との時間を取りやすくなったため平日の満足度は上がりました。

参考文献:

OECD Better Life Index: Work-Life Balance https://www.oecdbetterlifeindex.org/topics/work-life-balance/

OECD Data: Hours Worked https://www.oecd.org/en/data/indicators/hours-worked.html

OECD Data: GDP per Hour Worked https://www.oecd.org/en/data/indicators/gdp-per-hour-worked.html

(出典:OECD、CC BY 4.0ライセンスに基づく)

完全に切ることも、ひとつの到達点

もちろん、すべての人が「夜にもう一度働く」べきとは思いません。本来理想的なのは、勤務時間内にすべてを終え、定時で完全に仕事を切るという働き方です。

そのためには、段取りの力、集中力、チームとの連携、仕事量の管理など、複数の要素が高い水準で安定している必要があります。 そのように完全に切ることができる人は、ある種の肝の据わった人間だと感じることもあります。実際のところ、想定する目標地点に間に合うように物事を進めていくにあたって、合格ラインに届きにくいからです。

この合格ラインとは、連携する営業担当者や上長など、仕事で関わる人が思う水準のことです。何かしらのイレギュラーは必ず発生し、その分タスクは後ろにずれていくことがほとんどだからです。

しかし、そういった場合も含めて絶対に定時で終わる。そういう働き方もまた、一つの働き方の答えであることは間違いありません。これを書いた時点では私はまだその状態になれていません。

私のスタンスと、再開の判断基準

私は、一度終わらせる”ことを基本としながら、「これは今日中に再度見直すべきだ」と感じたときだけ夜に再開するようにしています。 その際には、単に感覚で進めるのではなく、「本当に必要か?」「これをやることで何が変わるか?」という判断基準を持ちます。必要な時間だけ。

そして、次に同じような状況が来たときには、その時間をしっかり勤務時間内に確保する。これは、「次からは残業にしてお金をもらう」ための準備作業として捉えることもあります。

働きやすさと成果、そのバランスをどう保つか

「働きやすさ」と「成果」。この両立は永遠のテーマです。働きやすさだけを重視すれば、無理は避けられます。しかし、そこで生まれる余白に、目には見えにくい努力を投入できるかどうかで、成果の差はついてしまいます。

効率的な働き方は大前提としたうえで、それでも単純な物理の話で投下した時間分のリターンはあります。

かといって、成果のためにすべてを犠牲にするのも違うと思います。いくら成果が出るからと言って、休日のすべてを使うのは会社軸で動きすぎです。そこまでのリターンはおそらくありません。

どこかで、自分なりの境界線を引き、どこからどこまでを「仕事」として扱うかの定義を持つことが大切です。そしてその定義は、「会社が決めたルール」ではなく、「自分が納得できるかどうか」に委ねられているのだと思います。

見えない仕事に、自分なりの意味を持たせる

定時で帰ることは、いいことです。そして、残業代と引き換えに得たその時間をどう使い、どのように未来の質を高めていくか。そこに、自分なりの判断と調整があることが大事な点です。

業務外の時間に、仕事のための静かな予習をする。少しばかり違和感も感じなくもないですが、自分の中で意味づけられていれば問題ないです。

必要であれば、次はそれを「正式な労働時間」としてカウントしていく。そうやって少しずつ、働きやすさと成果の両立を、現実にしていくのだと思います。

違和感に関しては、この世の中は正しくしようとするものであって、間違っているものも多いものだと遠い目で受け流しつつ、未来的に違和感ある行動をしなくて済む環境を目指していきましょう。

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