やりたいはずのことをやれない自分
この休みはやりたいことを色々とやるぞ。と意気込んでいたものの、結局できなかった。今年こそは去年やれなかったことをやろうと目標を立てたものの、結局できなかった。そういったことはないでしょうか?
理想を実現するのは、なかなか難しいものです。色々と思い描く理想の自分は、理想のままで何も変わらない日々を過ごしているのかもしれません。ですが、どうしてやりたいはずのことをやるのが難しいのでしょうか?
やりたいはずのことをやれない自分を変えるための方法について今回は考えてみたいと思います。
「今すぐやる」と決めたものだけが実現できる
やりたいはずのことを実行できなかったとき、反省もかねて原因を追求すると思います。時間的制約、金銭的制約、難易度、人間関係など色々な原因を考えてしまうと思いますが、本質的ではありません。
やりたいはずなのに何もできないのは、やらないという結論を自分のなかで出してしまっているからです。やらないという決断を無意識にしているともいえます。やりたいはずのことでも、「今はやらない」と決断してしまっている自分がいるのです。
もし、やりたいことを実行したいのなら、本心では「今はやらない」と決断していることを、「今すぐやる」という決断に変更しなければなりません。頭のなかで思い描いている「やりたいこと」たちは、「今すぐやる」と決めたものだけが実現できます。
たとえ、やりたいことに時間がかかって中途半端に終わるとしても、「今すぐやる」と決めたものは実現に向かいます。少なくともやりたいことに取り掛からないことはないはずです。
「やりたいこと」だけにしておかないと
もし、やりたいはずのことがなぜかできないというときは、やりたいことを実現するためのタスクがやりたくないことなのです。目的(やりたいこと)と手段(実現するためのタスク)を切り分けて考えてみてください。
我々はシンプルにやりたくないことは見事にやりません。やりたいことを実行するためには、手段も「やりたいこと」だけにしておかないと、「今すぐやる」という決断ができないのです。
そのため、やりたいはずのことをやれない自分を変えるためには、手段を「やりたいこと」だけにする工夫や仕組みづくりが必要になってきます。この仕組みが作れていないと「やりたいこと」なのに何故かできない日々が続きます。
「やりたいこと」だけにする工夫や仕組みづくり
それでは、これから手段を「やりたいこと」だけにする工夫や仕組みづくりについて考えていきましょう。
例えば、カビ汚れでひどいお風呂の掃除をしたいと思っているとします。でも、今週もまた見送ってしまった。どうしてでしょう。こんなにもやりたいと思っているのに。実現できないことがストレスで仕方ありません。自己嫌悪にも繋がります。
簡単です。風呂掃除をしたいわけではなく、風呂をきれいな状態にしたいだけなのですから。風呂掃除を実行できる人は掃除が嫌いじゃない人です。風呂掃除が嫌いだったり、面倒くさがりが強かったりする人は、きっと動けません。
実際のところ、やりたいことが風呂掃除だけ、などというケースはあまりないでしょう。他にもやりたいことが色々あるのではと思います。そうなってくると、風呂掃除をしたいという本音の気持ちは小さくなってくるのではないでしょうか。
式にするとしたら、下記のとき我々は実行に移すことができます。当たり前といえば当たり前です。
「したい = 目的」 – 「したくない = 手段」 > 0
「風呂をきれいにしたい」という思いがかなり強い場合は、業者等に依頼する選択肢を用意するとは思います。ですが、通常はそこまでしないので、結果「風呂に関しては何もしない」という決断を下すことになります。
自分自身の例だと「定期的に風呂掃除もしたいのに~」みたいなことを家族に言っていたことがありましたが、シャワーを浴びながらふと気づきました。別にしたくないことに。偽りの自分に。
一度風呂掃除を念入りにやったときは、カビ取り剤の効果を試したい気持ちが強かったことを思い出しました。そして、その効果がわかったあとは、面倒くさい工程が想像できている風呂掃除は「やりたくない」ことに変わっていました。
風呂はきれいであって欲しいけど、掃除だけで貴重な休日が終わるのは嫌なので、自分は風呂掃除を「今すぐやる」という決断はしませんでした。結果、黒カビなどの汚れが本格的にまずい状態になるまでは先延ばしです。
この状態を打破するためには、先程の条件式で「したい」を増やして「したくない」を減らさないといけません。そのためには、「したい」を増やすために目的意識を強めて、「したくない」を減らすために心理的ブレーキを弱める方法を考えます。
自分を例にすると下記のような内容がリストアップできました。人によって、方法はそれぞれ違いが出てくるかもしれませんが、ひとまずこんなものでしょうか。
「したい」を増やすために・・・
- 日頃の感謝を家族に示す手段と捉える
- オシャレな風呂セットを設置するなど模様替えを楽しみにする
- 筋力トレーニングの一環として取り組む
- 晩ごはんや晩酌を通常より贅沢にしてご褒美を楽しみにして取り組む
- 家事育児の分担で他にもっと嫌なことを避けるために先手を打って担当する
- 見返りが足りないと思っている場合は褒美を増やしてもらえるよう交渉する
「したくない」を減らすために・・・
- カビ取り剤が垂れるのが嫌なので掃除のとき乾燥している生活リズムにする
- 強力な業務用洗浄剤や手間がかからないための清掃用品を用意しておく
- 毎日小さな掃除を習慣づけてカビ取りだけに集中できる状態にしておく
- お掃除セットは探すストレスを感じないためにすぐ取れる場所に置く
- 億劫な気持ちを少なくする為やる場所は短時間で終わる1箇所だけにする
- 掃除しなかった状態を想像して余計面倒な状態にならないための行動だと思い返す
これまでの話の流れとして、「したい」に関してはすでにある程度あるものとして話を進めます。工夫がより重要なのは「したくない」を減らすことです。これらを潰す方法を具体的に考えて1つ1つ準備していかなければなりません。
おそらく、やりたいことをしない決断につながる億劫な理由を潰すアイデアを考えることになるでしょう。だいたいの物事は取り掛かりが1番億劫なので、取り掛かりまでのハードルを極限まで下げてやることがトライの秘訣です。
なお、逆に「やりたくないこと」をついやってしまうという場合は、「したい」を減らして「したくない」を増やさないといけません。「やりたいこと」を実行するためのアプローチと逆の方法を考えます。
ちょっと体に悪いからといって、食べたいと思っているジャンキーな食事や深夜のラーメンはなかなかやめられないものです。これもラーメンの美味しそうなイメージを呼び起こすようなものをできる限り避ける仕組みを作らないといけません。
ラーメン食べたいを減らす・・・
- ラーメン屋のある道を避けて帰る
- ラーメンが美味しくなる残業や深夜徘徊を避ける
- 1時間掛けて出かけないといけない場所に住む
- etc・・・
ラーメン食べたくないを増やす・・・
- ラーメンより健康的で美味しいものを見つける
- 自分にとっての健康面でのデメリットを調べる
- 店主でもゴキブリでも何でも嫌な思い出をつくる
- etc・・・
こうやって考えていって、手段を「やりたいこと」だけで構成していきます。自然に「すぐやる」という決断に自分を導くことができるまではトライアンドエラーです。
ストレスが少ないようにするために「やりたいこと」だけで満たしていくということは、感覚的には見返りが感じられる状態へ自分を持っていくということです。自分が求める見返りがないと動けないですから。
満足度の高い毎日を実現するスムーズな道のりへ
言うは易し、行うは難し。いくら工夫をしたとて、手段すべてを「やりたいこと」にするのはなかなか難しいかもしれません。生活や仕事をするなかで、「やりたいこと」だけをやっていればよいということはなかなかないでしょう。
やりたくない手段だったとしても、目的としては達成したいことに変わりはないと思います。適当な嘘や歯ざわりのよい言葉を並べながら「何もしない」を選び続けるのは自尊心を傷つけていきます。
いくら意識を逸らそうと、欲しいものや状態が手に入らないのは単純にストレスです。それを飲み込むのが大人とも言えますが、大人だろうと欲しいと思ったものが手に入るに越したことはありません。
頑張り過ぎるのは精神衛生上よくありませんが、諦めることばかりでも精神衛生上よくありません。
それが、風呂掃除のような小さなことでも、朝マックに行く計画でも、見きれない映画でも、トレーニングでも、小さな挫折が積み重なっていくと、知らず知らず自分の自信を奪っていくことになります。知らず知らず自分を嫌いになってしまいます。
こう書くと少し気負いすぎかもしれません。例に出したのは単なる風呂掃除ですが、単なる風呂掃除ですら簡単にはいかないのが慌ただしい現代社会です。
気負いすぎくらいの意識をまず持った上で、日々や自分が行動しやすい仕組みを設計して、「やりたいこと」だけで満たして毎日は気負わず流れるままに動くのがベスト。満足度の高い毎日を実現するスムーズな道のりではないかと思います。
気持ちだけで乗り切るのはドーピングのようなもの
それでも現実は、やりたくないことも粛々とやらないといけないことも多いでしょう。そういったときは、気持ちをうまくコントロールして、我慢して、責任感を持って、危機感を持って、やりたいことを「頑張って」行うことになるかと思います。
物事を「頑張って」行うとき、どうしても面倒臭い気持ちや、やりたくない気持ちが湧いてくるものです。それでも、実現に向かって「頑張って」タスクをこなせる人とそうでない人が出てくるのはどうしてでしょうか。
よく目的意識と言いますが、これは義務感の差です。無意識にここまではやるべきというラインを自分で決めているのです。このラインが高い人は、その分嫌なタスクでも実行していくことができます。目的のための意欲エネルギーが豊富なのです。
ただ、この義務感は目的を強める効果がありますが、これに頼り過ぎるとふと辛くなったりするので、気合を入れて乗り越えるようなやり方は個人的にはあまりおすすめできません。気持ちだけで乗り切るのはドーピングのようなものです。
皆ある程度そうやって頑張っているとは思いますが、この状態は強迫観念に近いエネルギーなので率直にしんどいものです。年末大掃除など限られたイベントならいいですが、継続的にやらないといけないものには向きません。
仕事なら歯を食いしばってでもやったりするかもしれません。しかし、休日はそこまで自分を奮い立たせるのは難しいですし、他に息抜きなどやりたいことがあったら自然とそちらへ体は誘われます。
部屋の片付けがしたい、などと言いながら週末お出かけをしてしまうこともあるでしょう。週末はショッピングにでかけてアレしてコレして・・・などと考えながら寝転んでただただTVから流れる映像を眺めながら哲学していることもあるでしょう。
歯がゆいですね。しかしここで無理やりやろうとするとメンタルにダメージが積み重なります。仕事や日常生活にすでに「頑張って」いるので、普段「頑張って」いる疲れを癒やすためにも、メンタルを保護するうえで日頃の行動には理由があるのです。
人間をは変化を嫌う生き物
人間をは変化を嫌う生き物と言われます。人間だけでなく、動物は変化を嫌うと言われます。変化を起こすとき、強いストレスを感じるように作られているそうです。
「やりたいこと」をしようとするときにストレスを感じるのは、「やりたいこと」というのは、基本的に現在からの変化になるからではないでしょうか。変化を嫌う人間だからこそ、「やりたいこと」はなかなかできないのです。
無意識に負担なく日常に組み込まれてやっていることは、「やりたいこと」だったとしても「できること」であり、思い描く「やりたいこと」は「できていないこと」なのではないかと思います。「できていないこと」だから、意識に強く残るのでしょう。
変化を嫌う人間ですが、隣の芝生は青く見える性質を持つのもまた人間。すでに持っているものは意識しませんが、まだ手に持っていないものは欲望を刺激するので意識します。
満たされなかったという感情は無視しようとしても、心にしつこくまとわりついてきます。
手に入れようと望みながら手に入らない。色々「頑張って」やらないといけないのに、「頑張って」やれない自分に気づいていながらも状況に甘んじてしまう自分の行動に嫌悪してストレスをためるのは、目的意識を持つと避けては通れない事象です。
目的意識を持つと、持たなかったときに比べ、目的に結びつかない行動がとても腹立たしくなってきます。そのようなストレスを感じると人間関係にも影響したりするので、あえて目的を殺す立ち回りをするのもメンタルを保つ回避行動です。
ほんの少しの変化でさえ、阻害してくる要因がたくさんあるのです。そのような現実の中でも、目的に近づくために必要なメンタルセットがあります。それは、簡単に言うと自分を過信しないということです。
頑張るポイントがあるのです
前提として、「自分はできる」という思い込みを捨てることからスタートします。実はできなくて当たり前です。仕組みが作れていないと物事は実現できないようにプログラムされて自己嫌悪に陥るまでがセットなのですから。
「頑張ってやる」「気持ちを強く持って実行する」などの気合は、物事を実現するための本質的な材料として役に立ちません。変化を嫌う人間のプログラムによっていつもの行動へ戻されてしまいます。
「頑張ってやる」という方法は副作用が大きく、下記のような症状を引き起こします。
- 目的を見失ったり疑問を抱いたときの燃え尽き症候群に襲われる
- 頑張ってやっている状態が目的にすり替わってしまって目的を忘れる
- 無意識に周囲に対する言葉や雰囲気の圧力が強くなって孤立しがちになる
- 楽しむことが悪と感じるようになり罪悪感に蝕まれ毎日が単純に楽しくなくなる
- 他人も自分と同じくらい頑張ることが当たり前と感じて優しくなれなくなる
- 体調が悪いときも変に頑張ってしまってうまく休めなくなって本格的にダウンする
それでも、「頑張ってやる」ことがまったく必要ないかというと、そんなことはありません。頑張るポイントがあるのです。習慣化が必要なものや、自分を少しだけコントロールする際には役立つのが「頑張ってやる」という行為です。
「頑張ってやる」は栄養剤のようなもの。摂取が過ぎると悪影響を及ぼしますが、適度な「頑張っている」感覚は日々に活力を与えます。また、次何をしようかな・・・といった自分の行動を選択する瞬間に通常とは違う選択をさせる際に作用します。
「頑張ってやる」のは、自分の行動を決める瞬間のちょっとしたアクションのスイッチくらいとして使うならアリです。1時間「頑張ってやる」のは到底エネルギーが持ちませんが、1分「頑張ってやる」ぐらいならなんとかエネルギーが持ちます。
それに、長時間「頑張ってやる」ことはできません。これも、あらかじめプログラムされているものと割り切りましょう。変化を嫌う人間のプログラムです。嫌と感じていることを頑張って続けすぎると、歯を食いしばり過ぎてきっと歯が欠けます。
自分に用意されたプログラムを変更するための条件式
なお、「つらい」と感じたとき「負けられない」と奮い立たせる「気合」のようなもの。ここぞという勝負所にはこういった「気合」も大事ではあります。「気合」は自分に用意されたプログラムを変更するための条件式です。
「気合」だと熱い想いを連想するかもしれませんが、「注意喚起」「鼓舞激励」「自分の筋肉への語りかけ」など、あらゆる自分に対する行動を「やらない」から「やる」へ変化させるきっかけのようなものはすべて自分に対する条件式です。
こういった条件式をスイッチとして「1瞬だけ頑張ってやる」癖を自分の中に設置することができれば、日々の行動を改善するきっかけになってくれます。「やらない」を選択させようとする基本的なプログラムを回避するきっかけに。
これは、〇〇のとき〇〇する、という条件を自分自身のプログラムに上書きして実行する方法です。条件を意識すると、日々の選択肢に意識がいくので、無意識での選択を避けることができます。
無意識の選択というのは、{帰ったとき}{ソファーでドリンクを飲む}というようなことを我々は毎日行っているのですが、この例だと条件を意識するタイミングは{帰ったとき}です。
{ソファーでドリンクを飲む}を選択実行した結果、望まぬ1日の終わりになりやすいのなら、{帰ったとき}の時点での行動を変える必要があります。それは{風呂に入る}かもしれませんし、{トレーニングをする}かもしれません。
これは、実際に行動を変えてみたり、過去うまくいった日、うまくいかなかった日、など自分を見つめ直す必要があります。また、{帰ったらソファーでドリンクを飲む}までが一連の動作となっていて変更しにくい場合もあるかもしれません。
そのような場合は、{残業したとき}{帰ったらソファーでドリンクを飲む}のようにもう少し前段階から条件が働いている可能性があります。この場合、行動をアプローチする必要があるのは{残業したとき}ですね。
頑張り過ぎないように行動を変えようとすると、仕事の環境を変えたり、家庭内での過ごし方を変えたり、随分と前段階から手を打っていかなければならないことに気付くでしょう。
失を出そうとしない省エネ思考
ちなみに、「やりたいこと」があったなら、今すぐたとえ1分でも「やる」か「やらない」かでは「やる」ほうがいいに決まっています。時間がなくても1分も捻出できない人はなかなかいないでしょう。
1日1分でも、1週間積み重なれば7分、1ヶ月で約30分、1年で6時間・・・少しでも自分の時間を「やりたいこと」に費やすことができます。それに、実際いざ取り掛かったら1分で終わることなどなかなかないでしょう。
それでも「やらない」のは、「1分だと大したことはできない」という事実が、脳の報酬の観点から損失を出そうとしない省エネ思考を働かせ、「やらない」に誘導してしまうからです。長い目で合理的に見ればメリットがあるのにも関わらず。
もし、今日も「何もできてないなぁ・・」と頭に思い浮かんだら、「寝る前に1分だけでもやる」「触りだけでも準備だけでもやってみる」というルールを自分に刻み込みます。意識をするのはこのタイミングだけです。
なお、物事を選択するときに結果は8割決まっています。今ある結果は、単純にこれまでに積み重ねてきた時間配分の結果生まれている結果です。その時間配分を決めるのが物事の選択です。
「1分でもやる」「1分ならやらない」という選択も、自分の時間配分を決める選択です。ここで、「1分でもやる」と選択できたならもう8割成功は決まります。そう、1分の時間を配分しただけの結果を手に入れることに成功します。
成功が手に入るかどうかは分かりません。費した分だけのリターンが返ってくるのが世の理です。平等ではない自分のスタートラインから、目的地までに必要な距離を進む行動をしたら目的地にたどり着ける。それだけのことです。
学業におけるテストの得点がそれまでの勉強の積み重ね量や取り組み方の工夫や方向性が反映されるだけなように。何事もそつなくこなす人が、実は練習に時間を割く日々を過ごしているだけなように。
実現できるような方法や、ハードルにすればよいだけ
これまでを振り返って、やりたいのにできてないことに心を痛めるのは必要ありません。もちろん、できていないので結果としては愚か者です。しかし、愚か者でも実現できるような方法や、ハードルにすればよいだけです。
そして、「すぐやる」という結論を出せるようになったらしめたものです。誰しも、やるという結論を出した答えなら、本格的に体調が悪いなどでない限り、必要以上の精神的エネルギーを使わずに実行するものなのです。
やらないと言う結論を自分で出していることは、悩む必要はありません。いずれやるという結論を出せるタイミングまで先延ばばしでよいのではないでしょうか。
我々は感情に基づく欲求に正直なのです。これを覆すにはかなりの気力を必要とします。「やりたいこと」はついついやってしまいますし、「やりたくないこと」はしません。
「やりたいこと」「やりたくないこと」を見極める
大人になるにつれ、一見もっともらしい理由を述べながら自分を正当化するスキルは上がるものです。しかし、「やりたいこと」から目を背けていることにも、自分の本心に嘘をついて正当化する癖もついてしまいます。
落ち込んだりふてくされている間に、次々と誘惑や妨害が襲ってきて、気付けば「やりたいこと」は過去のものになっていきます。「やりたいこと」も過去のものになったときにはさほど執着はなくなっていることでしょう。
それでも。1つ1つ「やりたいこと」を実現してきた人と実現してこなかった人では、今の満足度は違うのではないでしょうか。「やりたいこと」のサイズは人それぞれですが、少なくとも自己実現ができているかどうかの違いは大きいです。
繰り返しますが、あくまで実現できるのは「やりたいこと」だけです。「やりたいこと」なのに「なぜかできない」ことの対策を考えてきましたが、そもそも「やりたいようでやりたくない」目的なら、実現することはできません。
まずは、「やりたいこと」と思い込んでいる「やりたくないこと」を見極めてください。そして、自分の行動の占める割合を「やりたいこと」で増やしていきましょう。
もちろん、そう簡単ではないかもしれません。今の生活リズムが、いい選択ができないくらいエネルギーを消耗しきってしまう生活リズムになってしまっていることが問題かもしれませんし、他の色々な妨害かもしれません。
実現のために必要なのは、やるという決断ができるような材料や仕組みを揃えることです。それは、自分の意思でもいいですし、他力本願でも別に構いません。
1年、1ヶ月、1日にできることはそれぞれのボリュームで限られています。やるという結論を出せたことから実行していきましょう。1年後には少し今より良い環境に身を置けているといいですね。それでは。