嫌だな、と感じる相手はやはり嫌なことに変わりはない

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はじめに

他人と関わると

社会生活では、誰かしら人と関わりますね。尊敬する人、気楽な人、面白い人、楽しい人、変な人、癖が強い人、色々な人がいます。そうやって色々な人と関わるなかで、嫌だな、と感じる相手が誰しも1人はいると思います。もし、あなたが人間関係を選べる状況にあるなら、嫌な人は周りにいないかもしれません。

自分の周りに誰も嫌な人はいないという場合は、よい人間関係に囲まれているか、逆に自分がのびのびとすることで相手に対して嫌だなと感じさせている状態かもしれません。まあ、それでも現在は嫌だと思うことがないので順調だということでよいのではないでしょうか。

今回は、集団生活において、嫌だな、と感じる相手が1人くらいは存在するものとして、記事を書いていきます。

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嫌なタイプの相手に対して

人間だから至らない部分は誰にもあるものだと思います。嫌な相手に対しても、自分の努力や工夫で何とかなる部分もあるかもしれません。社会生活ではコミュニケーションは避けられないかもしれません。

そう思って、接し方を変えてみたり、仲良くなろうとしてみたりするかもしれません。すぐさま嫌だ嫌だと逃げるのも、あまりよろしくないと思うので、我慢したりしてみたりするかもしれません。面白く気の利いた答えを返せるように、あらかじめ返答を準備したりもするかもしれません。

私自身そうしてきて、嫌だな、と感じるタイプの相手に対して、自分はどういった対応をするとベターなのか。自分の器が大きくなってくればまた対応も変わってくるかもしれませんが、ある程度自分の結論は出てきたので、人間関係に変に疲弊しないためにも、一度対策を書いておきたいと思います。

相手に対して嫌だなと感じたら

距離を置くのが基本

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結論として、嫌だと感じる相手を変えることはできないので、あらかじめ距離を置ける相手ならあらかじめ距離を置きましょう。嫌な相手のことを考えるのは時間の無駄です。仕事や血縁でどうしても距離が近づいてしまう相手の場合は、自分が不快に感じる点を簡単にハッキリと伝えたあとはできる限りの距離を置きます。

どうしてもコミュニケーションを取らないといけない場合は、できるだけフランクにならないように業務的に付き合います。ここに感情を入れてはいけません。なお、大人として自分ができる範囲の配慮を行っており、嫌な相手もそれなりに配慮はしている部分が見えることを前提とします。

もし、ハッキリと伝えるのが怖い場合は言葉にしなくてもいいです。自分が嫌だなと感じる発言などを相手がしてきたときには、無言で相手を見つめてみたり、フーンという感じで受け流したり、気の利いた返しなどをしなくて構いません。愛想笑いも必要ありません。

それでも、相手の配慮が足らないと感じるなら、嫌な相手の個性は自分にとって悪影響でしかないので、よい関係を築くことは難しいです。配慮されている状態でも自分が嫌な思いをするのなら、嫌な相手の持っている個性は自分にとって害でしかありません。

正しさはいったん忘れる

距離を置こうとしたときに、情にほだされたりするかもしれません。それでも、自分はその人が変わらないままでもよいか、と言われるとNoなのであれば、選択としてはやはり距離を置くのが正解です。相手が自分に対して好意的だったとしても、好意的なことにだけ感謝しつつも心理的な距離を置くのが適切なスタンスです。

話し合えば分かり合える部分ももちろんあります。善人と悪人で極端に分けたとしても善人のほうが圧倒的に多いとは思います。しかし、話し合ったりコミュニケーションを深めたりして、距離が近づいて仲良くなったとしても、ふとした時に本来の個性が顔を出すので、その本来の個性が嫌だと感じるなら、どうあがいても嫌なのです。

たとえ、嫌な相手が実は正しくて自分のことを真剣に考えてくれていたとしても、自分が嫌ならどうしようもないのです。この場合は、自分に相手のことを受け入れられるだけの器ができていないので、自分の器が育つまでは距離を置くしかありません。嫌な相手とずっと一緒にいると嫌だという気持ちに捉われて視野が狭いままなので器が大きくなることはありません。

リラックスできない相手

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嫌な相手は個性として自分が嫌だと感じるものを持っているため、何も考えずに自然に付き合うと嫌な思いをします。基本的に距離を置いて接さないとストレスを感じる機会が多くなります。しかし、嫌だと感じる相手のことをなぜ自分は嫌だと感じるのでしょうか。

嫌だと感じやすい個性には下記の特徴があります。

・自分に似た嫌な特徴を相手も持っている
・自分と相手のルールがうまく重ならない

1つ目は、自分に似た個性でかつ、自分が自分に対して嫌だなと思っている特徴を持つ相手です。自分は意識して改善したりコントロールしているなら、自分は努力なり工夫なりしているのに、改善努力をしない相手に不快感を感じるのです。また、努力工夫とは関係ないところでも、駄目な自分を客観的に見せられている錯覚に陥って不快感を感じるのです。

2つ目は、自分の持つルールと上手く合致しない相手です。誰もが自分のルールを持って人間関係を構築しています。そのルールの中には常識だったり、信念信条だったり、過去の感情を基準にしたものだったり、色々な体験や経験からルールを作っているものです。

このルールブックをもとに身の回りのことに対して「許せる」「許せない」「どっちでもいい」というような判定が下されます。自分が「許せない」行動を相手が「許せる」「どっちでもいい」なら、自分は不快感を感じるのです。自分にとってはルール違反でも、相手からするとルール違反ではないので、自分が「許せない」行動をされてしまうのです。

自分とまったく考え方も違うようでもウマが合う相手というのは、この「許せる」「許せない」のルールの噛み合わせが上手くハマっているのです。

ちなみに、自分が「許せない」はずの行動をあえてしてしまうのは、少し自分の中の回路が狂ってきていたり、強大な何かと闘っていたりするかもしれないので、ここでは触れません。

じつは主張の争いが起こっている

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私自身を例にすると、自分のだらしない面が嫌いです。それも含めて受け入れて自分を好きになれるようになれるならば、人間としての階段を一段上がる?ことができるのかもしれませんが、まだそこまでに達していません。価値観としては、だらしないのは仕方ない人間だもの、でもそのままではいけないよね?という価値観です。

だらしないので、もちろん片付けや掃除も嫌いです。それでも嫌いだからこそ整理整頓をきちっとしておかないと、仕事や生活がスムーズに進みません。そのため、自分のだらしなさを加味して対策を立てています。実際の結果は改善の余地がありますが、まずやろうとするかしないかが重要なポイントです。

しかし、やろうとすらしない、というのは自分のダメさを受け入れた姿です。誰かと関わりたいという欲求があったときに、相手が「汚くてもいいよ。」というならそれでいいかもしれませんが、相手が「汚いのは嫌だ!」といっているのなら、自分のダメさを受け入れていてはいけないはずです。

片付けや掃除を意図的に「やろうとすらしない人」と関わると不快感がこみ上げてきます。相手は「やろうとしている」のかもしれなくとも、自分の基準では「やろうとしていない」に入っている場合も含まれます。

「やろうとしていない」を受け入れるということは、「汚いのは嫌だ!」とうい相手と関わらなくてもよいという意思表示をしているようなものです。つまり、「片付けられない」ことだけに対して不快感が発生しているのではなく、「片付けない」という意思表示を突きつけられたことや、関係性を軽んじられたことなどからも不快感は発生しているのです。

これは家族や恋人など関係性が近い相手のほうが起こりやすいかもしれません。他人にはあまり不快感がわかなかったりすることもあります。それは、相手に対して距離を置けているからですね。期待値なんかも関係してきて、期待しているほど怒りやがっかりという不快な感情がついてくるので、期待していない人ほど不快感には繋がらないものです。

嫌な人との付き合いは続かない

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他にも、不平不満をすぐ口にする人、仕事ができない人の人格まで否定してからかう人、自己顕示欲が強く何かとマウンティングする人、相手の状況や優先順位を配慮せず何でもかんでも「至急」というタイトルのついたメールを送る人、不快感を表に出して圧をかけてくる人、これまでの話の流れがあったのに1からまた説明しないといけない人、などなど不快感を湧き上がらせ嫌だなと感じさせる相手は身の回りに必ず1人はいます。

サラリーマンでもフリーランスでも必ずいました。人と関わる以上、必ずといっていいほどどこかで出会うことがあるでしょう。これらの嫌だなと感じさせる要素は、自分自身も持っていたり、自分とのルールが合わないのだと思います。

そして、私自身こういった相手とは結局離れた場所に今います。別の取引先が現われたり、退職したり転職したりで。嫌でたまらない相手とは違う場所に行くように謎の力学、おそらく自分がそうなるように無意識的か意識的に行動を起こしているのだと思われます。

他人を直接変えることはできない

「自分は変えられる、他人は変えられない」とよく言われます。自分を変えることならできるものの、愚かだと思っていることなど、変えたくない方向には変えることができません。相手のルールが変わるまで、嫌な思いをし続けます。素晴らしいと思っていることなど、変えたい方向に変えたとしても、相手も同じように変わってくれないと嫌な思いをし続けます。

私も、嫌な人との関係を改善するため、色々働きかけたりもしましたが、それでも本心で感じている嫌だな、という感情を拭うことはできませんでした。嫌なものはやはり嫌なのです。腹が立ったりすることがあるのは好ましい相手にでもあると思いますが、嫌だな、という感覚は特定の相手にだけになると思います。

正直なところ、本来の性格に近い部分はなかなか変えるのは難しく、年月や経験や余裕や意識改革が必要なんだと思います。ふと気が緩んだときには顔を出しやすいです。その部分が「嫌だな」と思う相手であれば、深い関係を気付くのは難しいのだと思います。

さいごに

頑張る必要はない

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まとめると、嫌だと思う相手に対しては、関係を深めても何をしても嫌だと思うことに変わりはありません。自分も相手も成長などの変化にかなりの時間を置かないと難しいでしょう。また、相手を変えようと期待すればするほど嫌だと思う感情は大きくなります。なので、対策としては「心理上の距離を置く」しかありません。

そもそも違うルールで生きている相手に対しては歩み寄るポイントなどもないので、自分がひたすら苦痛を我慢するか、相手を何かしらで屈服させるかしかないでしょう。まあ、これも意識してやることではないのと何より力関係が一方的な関係は楽しくないので、淡々と必要最小限のコミュニケーションをとるのが吉でしょう。

自分の想いや相手の想いなどが複雑に絡み合う場合もシンプルに業務的に取り組むことを意識して、人間関係をやり過ごすしかありません。まあ、相手が嫌だなぁと感じてなさそうで、自分が楽しければきっと正解です。嫌だと感じる相手のことはあまり考えないようにするのが精神衛生上好ましいです。

意識は自分に置く

育ってきた環境がそれぞれ違うので、付き合ってきた人間もまた違います。歩んできた道も違うので、磨いてきた価値観も違います。もともと持っている性質も違います。そういったものが、もろもろ重なり合って人格を形成しています。100%分かり合うことは難しく、そのために社会には法律やコミュニティルールがあります。

必要以上のおせっかいをしてはいけません。漫画やドラマのような熱い言葉で相手をどうにかしようとするのは、せいぜい10代のうちだけがチャンスです。これは、ついつい他人に期待してしまう自分にも言い聞かせておきたいことですね。

コミュニティのルールに従ったうえで、自己満足や自分ルールで動くだけなら構いません。ある程度の想いを伝えれば十分。それ以上は相手次第。それ以上をやる場合は完全に自己満足の世界です。まあ、できるだけ嫌だと感じない不快感の少ない日々を過ごしていきたいものですね。

素直な気持ちに従っていいのです。また時間を置いて距離を近づけてみたくなったら近づけてみたらいいのです。お互いに成長していれば、良い関係になれるかもしれません。おそらく、なれないかもしれませんが、やっぱりなれないな、と思ったらまた距離を置けばいいのです。今、嫌なら、距離を置く。これだけです。

悪影響を少なくするために

嫌だなぁと不快感を感じる相手と付き合うことで、他の人に対しても嫌だなぁと不快感を連鎖してしまっているかもしれないのなら、その人とは距離を置くようにしましょう。他の人とはいい関係を続けたいのなら。

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