
伝えるには時間が足りない
仕事をしていると、できるだけ誤解なく、スムーズに物事を進めたいと思うものです。特に誰かと一緒に何かを成し遂げようとするときには、相手に意図を正しく伝えることが大切になります。理想的には、自分の考えや目的、背景の事情まで含めて共有し、誤解の余地をなくすことで、仕事の精度も高まる――
しかし、現実はそううまくはいきません。なぜなら、時間が足りないからです。

伝えるという行為は、想像以上にコストがかかる
相手に何かを伝えるという行為は、思っている以上に時間も手間もかかります。単に言葉にするだけではなく、伝わったかどうかの確認、相手の受け取り方のチェック、場合によっては例え話や資料を用意して、繰り返し丁寧にフォローする必要があります。
とりわけ、複数人が関わるプロジェクトであれば、関係者全員に同じように情報を伝えるだけでも膨大な時間を要します。「この人にはAの観点から」「別の人にはBの文脈で」と個別対応をしていたら、それだけで1日が終わってしまうこともあるでしょう。
そのうえ、「きっちり伝える」はゴールではなくスタート地点です。しっかり伝えたつもりでも、相手がどう理解したか、どう動くかはまた別の問題。受け取り方は、その人の価値観や経験、忙しさ、心理状態、好き嫌い、利害関係によっても左右されます。
伝わって初めて物事は動き出し、そこからやっと行いたかった施策がチームとして実行されていくことになります。

理想は完全に伝わっている状態、現実は…
理想は、関係者全員が同じゴールを見ていて、共通の理解を持って動いてくれること。細かなニュアンスも含めて、思い描いているイメージがピタリと一致している状態です。
しかし、それをやろうとするととんでもなく時間がかかるのです。
たとえば、丁寧に打ち合わせをして、議事録を作って、補足資料を添えて、説明の場を設けて、再確認のためのフォローアップをして……。その繰り返し。業務時間のほとんどを会議や調整ごとに使ってしまい、肝心の「実作業」に割ける時間が残らない。
結局、「何のための業務だったのか」が見えなくなってしまう瞬間があるのです。

伝えなければならないと感じるとき
とはいえ、限られた期限の中で物事を終わらせなければならない現場では、「ミッションを達成するためには、関係者の深い理解が欠かせない」という状況が見えてしまうこともあるはずです。
そのときには、「すべてを伝える必要があるのでは」と感じてしまうのも自然なこと。
特に、自分ならこう言ってもらったほうがスムーズに理解できる、もっとテンポよく深いコミュニケーションができたほうが早く進む、と感じる場面。友人と話すようなハイテンポなやり取りができないのであれば、「それならいっそ自分でやったほうが早い」と思ってしまうことすらあるかもしれません。
また、現在はAIや自動化ツールなど、思考や作業をサポートする便利なツールが次々と登場しています。そういった時代背景の中で、浅いやり取りしかできないチームメンバーとの関わりは、「各人の強みが活かせないのでは?」「このチームでは伸びしろが感じられないのでは?」と、正直なところモヤモヤしてしまうこともあります。
しかしそれでも、かかわるメンバーが「まず先にある動かせない条件」であるという現実は変わりませんし、会社や何かコミュニティで働く以上は、連携して仕事をしていくことは欠かせません。
たとえ、実際に業務において核心的な部分を担っていないとしても、一緒に仕事をしないといけないという前提がある以上、今あるリソースの中で最大限の結果に向かわなければならない現実があります。
もちろん、動かせる権限があるならば、適切な配置やチーム構成の再編を行えばよいですし、変えるべきと思うことがあるなら、上長に交渉するのも一つの手です。

伝えることは一つだけ
こうした状況のなかで大事なことは、「伝えることは一つだけ」と決めること。
とはいえ、それは一つしか伝えないという意味ではありません。もちろん、いくつか伝えたいことを用意しておき、時間や相手の状況が許す限りは、順に伝えていく試みは必要です。これは、説明することが前提となっているコミュニティやプロジェクトにおいての、基本中の基本といえる要点です。
逆にここをうまくできないということは、自分のもともとの特性として「説明すること」が苦手だったり、もしくは「説明よりも行動で見せる」ことに価値を置く、そんな美学を持っているのかもしれません。
ただ、それが効果的な場面があるように、効果的でない場面もあるので、今どうにもチームがまどろっこしいというような状況に置かれている場合は、メンバーの嚙み合わせが効果的ではない場面となるでしょう。 特に、フォーマルな場であったり、背景の異なる人と関わるときには、そのギャップが強く表れます。

背景の違いが生むすれ違いや説明の癖に気づく
私自身、同じ背景を持っている人には説明が伝わりやすいと感じていました。ですが、前提条件が異なる人とやり取りをする場面では、なかなか理解をすり合わせることができず、うまく伝わらない場面が増えていきました。
理由のひとつに、自分が「本題を早く話す癖」がついてしまっていたということがあります。前提の共有をすっ飛ばしてしまうため、相手は何を言われているのか、どの立場から話されているのかが見えにくくなるのでしょう。
結果として、意図がまったく異なる形で伝わってしまうこともありました。
臨機応変に切り替えられる人は、おそらく今のままで大丈夫です。しかし、私のようにそうでない場合には、まず自分の癖に気づき、それを意識的にコントロールする必要があると感じています。

伝わらないことがストレス
伝えたいことが伝わらない。これは大きなストレスになります。
「本当はもっと違う意図だったのに」「そこだけ拾われると誤解される」――そういったモヤモヤを感じながら、日々の仕事を進めるのはなかなか苦しいものです。
それでもすべてを伝えることはできない。
だからこそ、「どこまでを伝え、どこからを手放すか」の見極めが必要になります。伝えきれなかったことによる誤解やすれ違いは一定程度、起きる前提で仕事を組み立てておくことが重要です。
その結果、例えばプロジェクトが期待する水準よりも低く着地するといったようなこともあるでしょう。それでも、伝えることができる量は限られています。残念ながら。
伝えることの時間が必要な時、うっすら感じている工数の見積もりが、与えられる工数を上回っていると感じているならば、おそらく残念ながらコミュニケーションの時間が足りないか、作業する時間が足りません。
今ならちょうど働き方改革で残業もしにくいことでしょう。取れる行動としては、作業時間を水面下に潜らせて納得いく仕事をするか、自身が達成したい水準を下回る着地になることを覚悟して相談することでしょうか。
現場の最前線で課題に直面している自分には、思い通りに進まないとが見えていたとしても組織人としては、できる限り最善を尽くすパフォーマンスが求められます。

人と関わることの楽しさと負荷
人と関わることそのものは、本能的に楽しい面もあります。ひとこと交わしただけでやる気が出たり、自分にない視点に刺激を受けたり。チームで動くからこその面白さや達成感は、個人作業では得られない価値でもあります。
ただし、人とつながることには“コスト”がかかる。それは、感情の起伏だったり、時間的な負担だったり、思考のすり合わせの疲労だったり。疑心暗鬼だったり。
だからこそ、「人とちゃんと関わる」ためには、自分の時間とエネルギーのマネジメントが必要になります。全部を伝えるのではなく、「何を伝えるかを選ぶ」という行動は、その一歩です。

伝える努力はするが、すべてを伝えようとはしない。
仕事で関わる相手にすべてを伝えることが理想だと、かつては思っていました。しかし、今は違います。伝える努力は怠らない。でも、すべてを伝えようとはしない。なぜなら、時間が足りないから。
そして、時間は有限です。その中でどう成果を出し、どう人と関わるかは、自分の判断にかかっています。一歩引いて、優先順位を見極めながら、今日伝えるべきことを選び取る。
それが、持続可能な仕事のやり方なのだと思います。