真面目の弊害、真面目さの適正値を考える

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真面目ということ

「真面目」という言葉は、日本語で誠実さや責任感、勤勉さを表す言葉です。物事に対して誠意をもって取り組み、真摯に向き合う態度を指すことが多く、単なる「堅苦しさ」や「厳格さ」とは異なります。

この言葉は、人の性格や行動の一貫した姿勢を表現する際によく使われます。真面目な人は、他者や社会に対して責任を果たすことを重視し、自己の役割や課題を真剣に受け止める傾向があります。

「真面目」という言葉、ポジティブな意味の時は「決まり事をしっかり守る。」というような意味で言われ、ネガティブな意味のときは「融通が利かない。」という意味で言われていたりします。

真面目なことは基本的には良いことです。私自身、真面目と言われることが多く、真面目さが信頼に繋がっていると感じられる点を実感する場面もそれなりにあった気がします。

Worry

真面目さの弊害

しかしながら、真面目さというものは、ここぞという場面では良い結果に繋がらないことが多いのではないかと、最近強く思うようになりました。

真面目さは個人で物事を進めることに対しては強みを発揮するものの、集団生活においては、自身の性格特性と関わる人の組み合わせによっては、むしろ弊害のほうが多いのだと。

真面目に物事を捉えて考えすぎると、人間関係においてあまり良い結果になりにくいケースが多いです。

それはなぜかと言うと、責任感の強さから苦言や注意を真面目に真正面から受け止める癖があるため、必要以上に傷ついたり、納得いかない点に対しては受け流すことが難しく、ルールや改善策を明確にしようとしてしまう傾向があるためです。

すると、日ごろの理不尽や不条理に対してストレスを感じやすく、ストレスを抑圧すればメンタルに悪影響を及ぼし、改善しようと行動すれば口うるさく感じられ、人間関係がこじれる悪循環に入りやすいです。

真面目すぎる状態だと、率直に不愉快な出来事に対して真正面から受け止めてしまうため、深くダメージを負ってしまいがちです。毎日が楽しくありません。そのため、真面目さは適度なラインを保つようにしたほうが良いかと思います。

理不尽が横行する社会生活の中で、満足行く結果につなげるためには、真面目さは敵となってくるのです。

与えられた目標をどうするか

真面目さが満足行く結果につながらないとは、どういうことでしょうか。それは、目的に対してのアプローチの仕方に対して柔軟性を欠いた状態になる可能性が高くなるからです。

仕事でも生活でも真面目さは目的に対してのアプローチに大きく影響を及ぼします。真正面に物事に取り組む姿勢から、行動の特徴として現れやすいのは、今目にしている課題に対して他人のリソースを使わずに100%達成しようとする形です。

目標に対して100%を目指す。

このこと自体は問題ではなく、100%を目指せる状況にあるにも関わらず目指さないのは、ただの怠慢になります。ただ…実際の社会生活において、誰かと関わって物事に取り組む以上100%を達成できる現実はほぼほぼないのではないでしょうか。

チームで100%目的を達成した、などというときは誰かの協力なリーダーシップや誰かが描いた絵によって成し遂げられていることがほとんどで、基本的に関わる人間が増えれば増えるほど達成%は減少していくことでしょう。

状況によって、表面上は「100%を目指します。」と言いつつも、腹の中では「せいぜい60%が落とし所だな。」というような状況が往々にして存在します。難易度によって目指すべき%は変動するということです。

通常は、なんとなくの難易度を捉えて、自分の力量を超えていそうなことに対しては、目標%を下げてもらえるコミュニケーションします。しかし、真面目な傾向が強いと、課題の難易度に関係なく、100%達成を目指そうとしてしまいます。

真面目な人でも、好きなことや嫌いなこと、目的にあることないこと、当然のようにありますので、持っている熱意によっては、100%を目指すとは限りませんが、思い入れが強く熱意が高いものに関しては100%目指すと思います。

ちなみに、ここまでで言っている100%達成とは、形骸化されているかもしれない書類上などの100%ではなくて、「存在する課題が確実に今の時点では体感的に明確に納得行く形でクリアできた。」という意味での100%のことです。

他者に対する関わり方

真面目な傾向が強い人は、基本的に他人に迷惑をかけたくないので、人の力を借りるという行為は、意図的に行うケースでない限り、自然と取りうる行動の選択肢の中で優先度が低くなってしまう傾向にあります。

また、自分に対して概ねストイックなことが多いかと思います。そして、それを当然と思ってやっている。すると、意図せずとも自身に対してのストイックさを周囲にも求めてしまうことで威圧感を与えたり不快感を与えたりする傾向にあります。

端的な言い方をすると、「一方的に抱え込んで病む」か「口うるさくて嫌われる」という関係性です。

そういった状態で、難易度の高い目標に出会ったとき、自分自身の仕事に関しては高いクオリティを目指す心意気がプラスに働くものの、こと対人関係においては前述した傾向から悪い結果に向かいやすいです。

ただ、必ずしも真面目であることが対人関係に悪影響を及ぼすわけではありません。真面目なことが対人関係においてもプラスに働く側面は大いにありえます。

Balance

真面目さの適正値

真面目なことが対人関係において、プラスに働くときはどういったときでしょうか。それは、真面目さが適正値を保てており、真面目すぎず、不真面目すぎず、丁度よい塩梅で物事を捉えられているときです。

そもそも、真面目さというのは、真面目か、真面目でないか、という2択で単純に割り切れるものではありません。同一人物でも、場合によっては「真面目」にも「不真面目」にもなります。

もともと持っている自身の性質としての絶対値的な真面目さと、コミュニティにおける相対的な真面目さがあり、自身の真面目具合が環境に影響を与えるとしたら、後者のコミュニティにおける相対的な真面目さです。

「真面目」がよい。「不真面目」がよい。という単純なものではなく、あくまでコミュニティにおいての適正値を保つ必要があるということです。

コミュニティにおける真面目偏差値

コミュニティの平均的な真面目さとの差が少なければ少ないほど、精神衛生上好ましいです。この真面目さが近ければ近いほどコミュニケーションが円滑で、対人関係においてもいい状態を保ちやすいです。

コミュニティにおける真面目度の高さに差があるようなときは、その差に見合うだけの権限が伴なっていないと苦痛にしかなりません。孤立している学級委員長のようなイメージが一例です。

同じ目標に向かって進もうというときに、「同じコミュニティ」では適切な「権限」がないと、おそらくコミュニティで円滑な目的を持ったコミュニケーションが取れないことになるかと思います。

これは、必ずしも役職など、肩書ではないことに注意が必要です。肩書があってもコミュニティが重視しているものが、個人のセンスだったり、実際の仕事や人となりだった場合には、そういったものが必要です。

とりあえず、「名ばかりの権限」では、まとまるものもまとまらないということです。真面目さの差が大きく、目標が高ければ高いほどに。同じ意識に持ってくるには強力な何かしらの力学が必要になります。

Control

真面目さコントロール

さて、真面目にやることに意義を感じない状況になったらどうするか、というところですが、やれることは以下のどちらかになります。

  • 考える量を減らす
  • やる気を減らす

真面目なのでおそらく物事に対してよく考えています。自分ではそのように思っていなくても、他者からすると考えすぎのきらいがありますので考える量を減らすようにします。

つい不毛なことや不愉快なことを考えそうになったら、趣味など別のことを考えるようにして、無理やり思考を切り替えて望まない思考を減らすアプローチです。

悩むときというのは脳が暇な状態なので忙しくしてやるのです。それでも、嫌な思考が割り込んで来るときはあります。そういったときはコミュニティから離脱する方法だけを考えます。

「絶対ここから抜け出してやる。」「絶対今年中に辞めてやる。」のような宣言を頭の中で大声で叫び、ごちゃごちゃうるさい思考を一喝します。無理やり余計な思考にストップをかける試みです。

そうやって、宣言をしてみると、宣言を実行するにあたって、今所属しているコミュニティからの離脱は、お金の問題や人目の問題、でそう簡単にはいかないことが多いと冷静に思える部分があると思います。

コミュニティからの離脱は現実的に考えると難しい、ということに直面できるので、単純に諦めの境地で思考が収まったり、必要なアクションを考えて手を打っていく必要があるので、考えることや作業することが多くなり、真面目の思考を逸らすことができる面があるでしょう。

また、真面目なのでやる気も高いことが多いです。正確には意識的に奮い立たせているかもしれませんが、基本的に真面目な人が注力していることには、やる気を高くもっていると思います。その注力先を変えるのです。

おおむねやる気の増加と思考量の増加はセットなので、思考量が増えてしまうやる気は増やさないようにします。今まで投下していたやる気は、今心を囚われていることの延長線上にない行動に割り振りするようにします。

これは、時間配分を調整するともいえるかもしれません。望む時間配分に自分を持っていくためにやる気のエネルギーを、これまでとは違うものに割り振るようにして、実際に時間配分も変更するサイクルにします。

いくら真面目でも、すべてを完璧にやりきることはできません。必ず注力できるものは1つ2つという限界があります。そして、今いるコミュニティには注力しない。トレーニングジムでもなんでも、別のものに注力してしまいます。

Road

それでも真面目に生きていく

それでも、もともと持っている性質というものはおいそれと変わることはありません。やる気がなくなれば、逆に不真面目に全振りしたりすることはあっても、やる気が出れば結局のところ真面目に物事に取り組んでしまうことでしょう。

ならば、真面目に愚直にやっていく形でもよいのではないでしょうか。もちろん、ある程度は真面目さをコントロールするなどすることで、何とかなったり行動の幅が広がる面はあるでしょう。

しかしながら、やはりもともと持っている資質は、矯正するよりも活かしたほうが精神衛生上よいかと思います。だからといって、楽をしようというわけではなく、自然と真面目に生きられる場所へ向かうことに真面目に取り組むのです。

自身が自然体で真面目に取り組んだ時に、ちょうどよい場所で。

苦労する道だとしても、目的までの距離が長かったとしても途中にはいろいろな花が咲いているはず。とりあえず、動かないのはもったいないです。何もしない時間が生まれてしまうなら、これまでと別の行動を試してみる時間を設けていきましょう。

それでは、また。

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